三条通に残る洋館のなかでシンボル的な建物が現在の「京都文化博物館・別館」(文博・別館)である。
文博・別館は、もと日本銀行京都支店として使用されていた建物で、辰野金吾とその弟子・長野宇平治の設計により、明治39年(1906)に竣工し、昭和40年(1965)に「高瀬川一之船入」の北、旧織殿跡に移転するまで銀行業務を行っていた。
移転後は、平安博物館をへて昭和63年(1988)に、京都文化博物館・別館として一般公開されている。
建物は、赤煉瓦に花崗岩の白いラインの外壁で「辰野式」と呼ばれ、当時としては斬新なデザインであった。
建物の沿革
kの建物は、明治36年(1903)に着工され、明治39年(1906)6月に竣工した日本銀行京都支店の建物である。
日本銀行京都出張所は、明治27年(1894)4月に東洞院通御池上るに開設されたが、業務の拡張にともない、明治39年7月にこの三条高倉の地に新築移転された。
その後、明治44年(1911)6月に出張所から京都支店に名称変更された。
日本銀行は昭和40年(1965)10月に河原町通二条に移転され、建物は昭和42年(1967)4月から財団法人古代学協会の所有となり、平安博物館として使用され、昭和44年(1969)3月に国の重要文化財に指定された。
昭和61年(1986)4月に京都府に寄贈され、京都府教育委員会文化財保護課により創建当初の姿に修理・復元された後、昭和63年(1988)10月に京都府京都文化博物館の別館として一般公開した。
出典:【旧日本銀行 京都支店の説明】より
建物の概要
建物は煉瓦造、二階建、一部地下一階、スレート(粘板岩)・銅板葺である。
外観は三条通に面して左右対称で、赤煉瓦に白い花崗岩を装飾的に配している。
この意匠は19世紀後半のイギリスの建築によく使われた様式である。
両翼には塔屋が付き、屋根には通気塔・採光窓などを設けて変化に富む。
内部には旧営業室の吹き抜けの大きな空間があり、カウンターのスクリーンや壁画の装飾、天井などは時代の雰囲気を表している。
左右の各室は応接室や所長室として使われていた。
二階には上等室、大広間が設けられた。
この建物の背後には別棟の金庫があり、渡廊下によりつながっている。
金庫棟は煉瓦造、一階建、桟瓦葺である。
設計は、明治の建築界の帝王といわれ、東京駅などを設計した辰野金吾(1854~1919)と、辰野の弟子で各地の銀行建築を手がけた長野宇平治(1867~1937)とによる。
出典:【旧日本銀行 京都支店の説明】より
辰野金吾は嘉永7年(1854)、肥前唐津藩の下級役人の子に生まれ辰野家の養子となり、工部省工学寮(現、東京大学工学部)の第1回生として入学し建築学を学ぶ。
明治12年(1879)に卒業し、イギリスに留学し最新の建築技術を学び、50才で建築事務所を開き、日本銀行、東京駅と国会議事堂の設計をしたいと考え、国会議事堂以外の設計を実現している。
辰野金吾の設計になるものとして、日本銀行を初めとする全国各地の銀行本店・支店、東京駅(丸の内駅舎)、阪堺電車の浜寺公園駅、奈良ホテル、珍しいところで佐賀県武生の武生温泉新館などがあり、三条通にはもう一つ日本生命京都支店(現、日本生命京都三条ビル)がある。
京都文化博物館・別館(旧日本銀行京都支店:京都市中京区三条高倉)
京都駅から
▼京都市営地下鉄烏丸線で『烏丸御池』下車(所要6分)
「烏丸御池」5番出口から、三条通を東に徒歩3分
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