御前通は、北は寺之内通から南は久世橋通まで、さらに新城南宮道までの7.5 Kmの南北の通りである。
このうち一条から九条までの間は、平安京の西大宮大路である。
御前通を直接走る市バスはないのだが、いくつかの系統のバスが御前通を横切って走っている。
七条通に「七条御前通」、四条通に「四条御前通」、その北の丸太町通に「丸太町御前通」のバス停があり、さらに北には「北野天満宮前」のバス停があり、御前通は北野天満宮へと続いているのである。
このように北野天満宮の門前を通ることから「御前通」と呼ばれるようになったのだという。

01本殿mid
北野天満宮の祭神・菅原道真は、平安時代初期の文学者で、優れた学才により宇多天皇・醍醐天皇の下で重用されたが、それを嫉む(ねたむ)者もあり藤原時平の讒言(ざんげん)により、九州大宰府に太宰権帥(だざいごんのそち)として左遷されるのである。
延喜3年(903)2月、道真は失意のまま大宰府で亡くなるのだが、その後、京の都では地震や雷、火事などの天変地異が頻々(ひんぴん)として起こった為に、これを道真の祟りであるとし、天歴2年(947)にその霊を慰めるための小さな祠を祀ったのが、北野天満宮の起こりだという。
のち天徳3年(959)に、藤原師輔(もろすけ)が社殿を造営し、御霊信仰に加え、道真の学才を慕い、文学の神としての信仰も広がるのである。
いまでは学問の神として受験生の入学祈願の参拝が絶えない。
毎月25日には「天神さん」として境内に露店が並び、特に正月の「初天神」、師走の「終天神」は参詣者で大いに賑わうのである。

02梅林mid
現在の社殿は、桃山時代の慶長12年(1607)豊臣秀頼が寄進したもので、本殿・拝殿のほか、中門・東門・廻廊・透塀・後門などが備わっている。
また道真が都を去るときに「東風(こち)吹かば にほい起こせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」と詠んだのに因んでか、2月25日には「梅花祭」が催され、梅園では上七軒の芸妓たちが野点を披露する。

03社殿mid
北野天満宮は
『菅原道真公を祀り、一般に「北野の天神さん」と呼ばれ、学問の神として崇められている。
天暦元年(947)の創建と伝え、天徳3年(959)藤原師輔(もろすけ)によって社殿が整備され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉が、付近一帯の松原で北野大茶会を催した。
本殿(国宝)は、豊臣秀頼が、慶長12年(1607)に造営したもので、権現造(ごんげんづくり)の代表的遺構である。
また、中門は三光門と呼ばれ、後西天皇筆の勅額「天満宮」を掲げている。
宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻(国宝)などの貴重な文化財を蔵している。
毎年2月25日には梅花祭、10月14日には瑞饋祭(ずいきまつり)が催されるほか、毎月25日の道真公の命日には多くの参拝者で賑う。』
                         出典:【北野天満宮の駒札】より

北野天満宮(京都市上京区御前通今出川上る馬喰町)
京都駅から
▼「B2」乗り場から50系統で『北野天満宮前』下車(所要36分)
「北野天満宮前」からすぐ