正面通は、西は千本通の手前、JR山陰線の下にある児童公園から始まり東に、東西の本願寺と渉成園に中断をされるが、河原町から鴨川を渡り、大和大路通の豊国神社に当たる東西の通りである。

01正面通mid
通りの名を「正面通」というのだが、現在は東の突き当りは、豊国神社である。
まさに正面に当たるのが豊国神社なのだが、この通りが出来た時は、豊臣秀吉はまだ生きており、その頃には豊国神社は存在していない。
では、正面通の名の由来はというと、秀吉が方広寺に大仏の建立を企て、大仏殿が通りの正面にあったことから、この名が付いたのである。
今は方広寺もかっての面影もなく、まして大仏殿もその跡をしるすものしかないのだが、秀吉の栄華が時を越えて、通りの名に残っているのである。

02梵鐘mid
「博物館三十三間堂前」のバス停から、大和大路通を北に歩くと、ほどなく巨石の石垣が現れる。
この石垣は、豊臣秀吉が大仏を安置するために「方広寺」を造った時に、諸国の大名に命じ積ませたもので、秀吉はここに奈良の大仏を越える「廬舎那仏」を安置しようとしたのである。
天正14年(1586)に、奈良の東大寺に倣い京の都に大仏の造営を始め、文禄4年(1595)に、高さ49m、南北88m、東西54mの壮大な大仏殿が寛政し、高さ19mの木像金漆塗坐像大仏が安置された。(ちなみに奈良の大仏の高さは14.7mである。)
しかし翌年の慶長元年(1596)に起こった伏見地震により、大仏が倒壊してしまう。幸い大仏殿は倒壊を免れるのだが、慶長3年(1598)秀吉は大仏の再建を見る事なく、亡くなるのである。
その後、豊臣秀頼により再建が始まるが、失火で大仏殿が炎上してしまう。
慶長17年(1612)に大仏殿と銅製の大仏の再建がされるのだが、慶長19年(1614)に、方広寺の梵鐘の銘が、大坂冬の陣・夏の陣への引き金となり、豊臣家の滅亡につながるのである。
豊臣家の滅亡後も大仏殿と大仏は残るのだが、寛政10年(1798)落雷により大仏殿と木製の大仏は焼失するのである。
天正年間に規模を小さくした大仏と仮殿が造られ、昭和48年(1973)まで存続したのだが火災にあい焼失し、今はそれを偲ぶ物は何も残っていないのである。

03方広寺mid
方広寺は、豊臣秀吉が奈良の大仏に優る大仏を、京の都に造営しようとして、天正14年(1586)に、三十三間堂の北側にあった佛光寺を移転させ、木食応其(もくじきおうご:秀吉と深いつながりを持ち、全国を巡り97もの寺社の開基に携わる)上人により開基される。
この時に、六条坊門通に橋を架けて五条大橋と名付け、方広寺への利便性を高めるのである。
方広寺は元々が大仏を安置する場所として造営されたもので、その名も「大仏」とか「大仏殿」と呼ばれていたようで、何時から「方広寺(ほうこうじ)」という名で呼ばれるようになったかは不明だが、少なくとも明治に変わるまでは、この名で呼ばれることはなかったようである。
大仏は二転三転し、最後の大仏は江戸時代後期の天保年間(1830~33)に、その規模を小さくし、木像の大仏が造られた。
明治3年(1871)に、方広寺の大部分は没収され、現在の敷地になっている。
その大仏も、昭和48年(1973)の火災で焼失するのである。

04豊国神社mid
「博物館三十三間堂前」で降りて、大和大路通を北に5分ほど歩くと、正面通にあるのが『豊国神社(とよくにじんじゃ)』である。
豊国神社は豊臣秀吉を祀る神社で、
秀吉は、慶長3年(1598)8月18日に、六十三歳で伏見城で亡くなるのだが、後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、遺骸は遺命により翌4年2月18日に阿弥陀ケ峯の中腹に祀られ、その麓には、広壮豪華な廟社が造営され、慶長9年(1604)8月の秀吉の七回忌には特に盛大な祭礼が行われ、そのときの様子は豊国臨時祭礼図屏風(重要文化財)に詳しく描かれている。
しかし元和元年(1615)に豊臣家が滅亡すると、徳川幕府により廟社は徹底的に取り壊され廃寺となり、阿弥陀ケ峰に繋がる参道に、新日吉神社を造り豊臣色を完全なまでに失くしてしまったのである。
時は変わり時代の趨勢は、再びこの神社に光をあて、明治元年(1868)明治天皇により、秀吉が尊王の功臣として、明治13年(1880)に方広寺大仏殿跡の現在の地に再興されるのである。
その時に、唐門を伏見城から移築をし桃山文化を今に伝えている。
西本願寺の唐門も伏見城の唐門を移したもので、いずれも国宝に指定されている。

方広寺(京都市東山区茶屋町527-2)
京都駅から
▼「D2」乗り場から86・88・206・208系統で『博物館三十三間堂前』下車(所要9分)
「博物館三十三間堂前」から、大和大路通を北に徒歩7分
豊国神社(京都市東山区大和大路通茶屋町530)
京都駅から
▼「D2」乗り場から86・88・206・208系統で『博物館三十三間堂前』下車(所要9分)
「博物館三十三間堂前」から、大和大路通を北に徒歩5分