渡月橋を南に越え、中之島に架かる渡月小橋を渡り、阪急嵐山の駅の方に数百メートル歩くと、十三まいりで有名な「法輪寺」への参道が見えてくる。
真言宗五智教団の京都本山で、和銅6年(713)、行基が元明天皇の勅願により、葛井寺(かどのいでら)として創建された。
天長6年(829)、弘法大師(空海)の弟子にあたる道昌が虚空蔵菩薩像を安置し、貞観16年(874)に伽藍が整えられ、寺号を「法輪寺」と改めた。
寺社は名勝嵐山の中腹にあり、山門をはいると長い階段を登ることになる。
「今昔物語集」・「枕草子」・「平家物語」などにもその名が見え、古くから知恵の神様として大勢の参詣者で賑わったという。
その後、応仁の乱により罹災し、江戸時代に後陽成天皇により再建されるが、幕末の蛤御門の変でも兵火にあうが再興されている。
本尊の虚空蔵菩薩は、「嵯峨の虚空蔵さん(さがのこくうぞうさん)」として親しまれ、智恵と福徳を授かるため、数えで十三になる子供が訪れる。
奥州会津柳津の「円蔵寺」、伊勢朝熊山の「金剛證寺」とともに日本三大虚空蔵と称される。
平安時代に清和天皇が廃針を納めた針堂を建立したことから、毎年12月8日に針供養が行われる。
また、惟喬親王の故事により、漆寺としても知られる。
(惟喬親王の故事とは、嵐山の法輪寺に参詣した時に、漆の製法を菩薩から伝授されたというに因む)
「嵯峨の虚空蔵さん」と呼ばれる「法輪寺」といえば、旧暦の3月13日に行なわれる『十三まいり』で有名である。
十三まいりとは、生まれた年の干支が初めて巡ってくる、数え年で13才になった少年少女が、元服を迎え大人になったことに感謝し、虚空蔵菩薩にお参りをし福徳と智恵を授かる行事であり、別名「知恵詣り」または「智恵もらい」とも云う。
一説によると、もともと数え年13才になり初潮をむかえる女の子の為の成人儀式として始まったとも云われているが、今では男女の別を問わず、子供の成長を祈ってお参りをする。
法輪寺の本尊、虚空蔵菩薩にお参りをし、福徳と智恵を授かり、法輪寺を後にし、渡月橋まで戻る。
その間、法輪寺から渡月橋を渡り終えるまでは、決して後ろを振り返ってはならず、もし振り返ってしまうと、折角授かった智恵が虚空蔵菩薩に返ってしまうと云われ、渡月橋を渡り終えるまでは何があっても後ろは振り返らないようにと言い聴かされ、渡月橋を渡るのである。
法輪寺(京都市西京区嵐山虚空蔵山町68-3)
京都駅から
▼「C6」乗り場か28系統で『嵐山公園』下車(所要43分)
「嵐山公園」から、徒歩5分
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