JR奈良線の「藤森」駅から、坂を西に5分ほど下ると藤森神社がある。
この神社は「勝運と馬の神社」として知られている。
藤森神社の創建は古く、伝えによると、神功皇后3年(203)三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に纛旗(とうき:いくさのときに掲げる旗・軍旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが始まりと云う。
本殿は、正徳2年(1712)に中御門天皇より賜った、宮中内侍所(賢所)の建物と云われている。
またこの神社は「菖蒲の節句」(子供の日)発祥の神社としても知られ、菖蒲→尚武・勝負の連想や武神が多く祀られていることなどから、馬と武運の神社として信仰を集めた。
現在は「勝運と馬の神社」として競馬関係者や競馬ファンにとってなじみの深い神社である。
また日本書紀の編者で日本最初の学者である舎人親王を祀ることから学問の神としても信仰される神社である。
駒札には、
『平安遷都以前に建立された古社で、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)、日本武尊(やまとたけるのみこと)など十二柱に及ぶ神々を祀り、洛南深草の産土神として崇敬されている。
「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、毎年五月五日に行われる藤森祭で曲乗りの妙技で有名な「駈馬(かけうま)神事」が行われることから、勝運と馬の神社として特に信仰が厚い。
また、日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王(とねりしんのう)を祭神としていることから、学問の神としても信仰されている。
本殿は、正徳2年(1712)に中御門(なかみかど)天皇より賜った宮中内侍所(ないしどころ)(賢所:かしこどころ)の建物といわれる。
また、本殿背後東にある八幡宮は応神天皇を祀り、西にある大将軍社は磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る。
どちらも重要文化財に指定されており、特に、大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた社の一つであるといわれ、古来より方除けの神として信仰されている。
本殿東の、神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したといわれる旗塚や、二つとない良い水として名付けられたという名水「不二(ふじ)の水」は有名である。
六月の紫陽花が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれている。』
出典:【藤森神社の駒札】より
境内には、二つとない美味しい水との意である「不二の水」があり、武運長久・学問向上など、特に、勝運が授かる水として近隣からこの水を汲みにくる人が絶えない。
不二の水は、
桓武天皇により都の南を護る守護神、大将軍社が置かれました。
5月5日に行なわれる藤森祭(深草祭)は、平安時代に清和天皇の勅命による「貞観の祭」を起源とし、武者行列や駈馬神事が行なわれます。
藤森神社は端午の節句に武者人形を飾る菖蒲の節句発祥の地。
ご神水「不二の水」は二つとないおいしい水という意で、武運長久・学問向上、特に勝運を授ける水として信仰されています。』
出典:【不二の水の説明文】より
藤森神社(京都市伏見区深草鳥居崎町)
京都駅から
▼JR奈良線で『藤森』下車(所要8~9分)
「藤森」から、西に徒歩5分
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