正月の三が日(1~3日)に、六波羅蜜寺で振舞われるのが「皇服茶(おうぶくちゃ)」である。
皇服茶は、梅干しと結び昆布の入ったお茶で、天暦5年(951)に京都で疫病が流行った時に、空也上人が市中を歩き梅を入れて仏前に献じたお茶を病人に授け、念仏を唱えて疫病を鎮めたという。
そのお茶を村上天皇も飲まれたところから「皇服茶」と呼ばれるようになったという。

01六波羅蜜寺mid
空也上人が天暦5年(951)に、十一面観音像を造り本尊として祀った念仏道場に由来すると共に、また応和3年(963)に般若心経を唱え、この寺を大々的に盛大にしたのが六波羅蜜寺の起こりとされている。
今ではその規模も随分と小さくなってしまったのだが、往時は見るも艶やかな堂塔伽藍が建ち並んでいた。
しかし寿永2年(1183)、平家が都落ちの時に六波羅邸に火をかけた類焼により、諸堂の殆どが焼け落ちてしまうのだが、奇跡的に本堂のみが類焼を免れる。
その後、南北朝時代の貞治2年(1363)に本堂が修営される。
寄棟造・本瓦葺きで、外陣を板敷きとして、蔀度で仕切られた内陣を一段低い四半敷き土間とする天台式建築である。
応仁の乱にも焼けず、今にその姿を留めている。
この寺では、教科書にものっている、空也上人の像があり、口から六つの像を出しているのだが、南無阿弥陀仏の六文字を表していて、南無阿弥陀仏と唱えることによって、衆生救われるという六斎念仏が今に伝えられる。

02本堂mid
駒札には、
『天暦5年(951)、疫病平癒のため空也上人により開創された、真言宗智山派の寺院で、西国33所観音霊場の第17番札所として古くから信仰を集めている。
空也上人の自刻と伝えられる十一面観音立像(国宝)を本尊とする。
空也上人は醍醐天皇の第二皇子で、若くして出家し、歓喜踊躍(かんぎゆやく)しつつ念仏を唱えたことで知られ、今に伝わる六斎念仏の始祖である。
往時は寺域も広く、平家の邸館や鎌倉幕府の探題が置かれるなど、源平盛衰の史跡の中心でもある。
宝物館には定朝(じょうちょう)の作といわれる地蔵菩薩立像のほか、空也上人立像、平清盛座像、長快作の弘法大師像など数多くの重要文化財を安置し、境内の十輪院が仏師運慶の菩提寺であったことから、本尊の脇に祀られていたという運慶、湛慶坐像も所蔵している。
年中行事として、正月三が日の皇腹茶、八月の萬燈会、かくれ念仏として知られる十二月の空也踊躍念仏(国の重要無形風俗文化財)が有名である。』
                         出典:【六波羅蜜寺の駒札】より

六波羅蜜寺(京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町(ろくろちょう)
京都駅から
▼「D2」乗り場から86・206系統で『清水』下車(所要16分)
「清水道」から、徒歩7分