今熊野観音では、毎年9月21日~23日の間「お砂踏法要」が行われる。
お砂踏法要は、四国八十八ケ所霊場を巡る四国遍路を巡拝したのと同じ功徳を積むことが出来るというもので、昭和28年(1955)から始められた。
各霊場の本尊が祀られている前に、四国八十八ケ所の霊場から集められた砂を袋に入れ置かれた「お砂」を、霊場のご朱印が押された笈摺(おいずる:白衣)を着て、納札を一番霊場から納め巡拝し、1ケ所ずつ「お砂」を踏み本尊に手を合わせる。
そうすることで八十八ケ所霊場を巡ったのと同じご利益を得られるのであり、毎年、大勢の参拝者で賑わう。「参拝冥加料 1,300円」
泉涌寺から来迎院を経て、さらに奥に歩き、赤い「鳥居橋」を渡ると「今熊野観音寺」である。
天長年間(806~833)、弘法大師(空海)が寺を建て観音像を安置したのが始まりとされ、のち斉衡年間(854~857)に伽藍や僧坊が造られた。下って、文暦元年(1234)には、後堀河天皇がここに葬送された。
寺域は昔から、ほととぎすの名所として知られている。ここは、近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、泉山七福神の第3番「恵比須神・を奉祀する 。
今熊野の駒札によると、
『泉涌寺の塔頭で、正しくは新那智山今熊野観音寺という。
西国33箇所観音霊場第15番目の札所になっている。
空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺のはじめというが、斉衡(さいこう)年間(854~857)左大臣藤原緒嗣(おつぐ)が伽藍を造営したとも伝える。
文暦元年(1234)後堀河上皇を当寺に葬るなど、歴朝の崇敬を得て栄えた。
伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後、復興されて現在に至っている。
本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置する。
寺域は幽静で、郭公(かっこう)鳥の名所として名高く、本堂背後の墓地には慈円僧正・藤原忠通・同長家の墓と称せられる見事な石造宝塔三基がある。』
出典:【今熊野観音の駒札】より
境内を入るとすぐに、弘法大師の像と子供がじゃれ合う「子まもり大師」の像がある。
この大師像の周りは、四国八十八ケ所礼状のお砂を敷詰めたもので、「南無大師遍照金剛」と唱え、この像を一回りすると、四国八十八ケ所を廻ったご利益があると云う。
また境内には、弘法大師を祀る「大師堂」と、ぼけを封じるという「ぼけ封じ観音」がある。
だれしも老いを向かえ、病と呆けにだけはなりたくないと思っているのだが、こればかりは神のみぞの世界であり、その為に一心に祈りをし、これを避けようと思うのである。
今熊野観音寺(京都市東山区泉涌寺山内町32)
京都駅から
▼「D2」乗り場から88・208系統で『泉涌寺道』下車(所要13分)
「泉涌寺道」から、徒歩10分




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