四条大橋を東に渡ると、左側に出雲阿国の像が立っている。

01阿国像mid
出雲阿国は元亀3年(1572)に出雲国に生まれている。
慶長8年(1603)に鴨川の河原にて、「ねんぶつ踊り」や「ややこ踊り」を基にして、「かぶき踊」を創作したと言われ、これが基となり現代の「歌舞伎」が出来たのだと言われている。
阿国の「かぶき踊り」は、名古屋山三郎役の男装した阿国と女装した男性とが微妙に絡み合うというものであった。
この阿国の「歌舞伎踊り」が評判になるとそれを真似して「女歌舞伎」と称する女芸人の座が生まれる。
その中で遊女屋の遊女が踊ったのが「遊女歌舞伎」である。
京では四条河原で、江戸では吉原で舞台を設(しつら)え、太夫の歌や踊りを中心に、太夫の三味線に合わせ50~60人の遊女を登場させている。
元和元年~寛永6年(1615~1629)の頃が最盛期であったのだが、男装した遊女と遊女の掛け合いが公序良俗に反するとして、江戸幕府により取り締まりの対象となり、「女歌舞伎」に禁止令が出され、次第に姿を消すことになるのだが、宮川町などで「若衆歌舞伎」など、男色の踊りとして残り、女役を男が演じることで、今の世に生き残ったのである。

03南座mid 04石碑mid
四条大橋の東詰南側に「南座」がある。
現在の南座は昭和4年(1929)に建てられたもので、破風造りの桃山建築を思わせる豪華な建物で、正式には「京都四条南座」と言い、江戸時代から続く日本最古の劇場である。
鴨川に面した通りに南座の楽屋口があり、その横に「阿国歌舞伎発祥地」の石碑が建っている。
駒札には、
『慶長8年(1603)この辺り鴨河原において歌舞伎の始祖出雲の阿国が初めてかぶきをどりを披露しました。
この碑は昭和28年11月吉例顔見世興行を前に歌舞伎発祥三百五十年を記念して、松竹株式会社により建設されたものであります。我が国が世界に誇る文化財歌舞伎を日本の至宝として末永く後世に伝えたいという願いが込められております。
碑の文字は、元日本芸術院長・高橋誠一郎氏の筆によります。』
                    出典:【阿国歌舞伎発祥地の碑の駒札】より

出雲阿国の像(京都市東山区四条大橋上る川端町)
京都駅から
▼「A1」乗り場から4統、または「A2」乗り場から5・205系統で『四条河原町』下車(所要11~17分)
 「四条河原町」から、徒歩4分