岡崎公園の中央を南北に走る道を神宮道といい、京都市美術館と国立近代美術館をまたぐように朱塗りの鳥居が立ち、その先に平安神宮の社殿が見える。
冷泉通を横切ると平安神宮の神門がある。
平安神宮は、明治28年(1895)に桓武天皇の平安遷都1100年際を記念して、桓武天皇を主神として社殿を建立し、京の総社としたのが起りである。
平安神宮の神門は、平安京大内裏の朝堂院に入る「応天門」を模して造られたもので、門の上に架かる額にも応天門の字が見える。
神門(応天門)をくぐると南庭のむこうに社殿があり、東本殿と西本殿が並び、南庭に面し外拝殿が建っている。
この外拝殿も平安京大内裏の大極殿を模したものであり、古の平安京の宮殿建築を偲ばせる趣となっている。
外拝殿(大極殿)は寝殿造で両側に歩廊を設け、東を蒼竜楼、西を白虎楼と呼ぶ。
全て丹塗で屋根は碧瓦で葺かれ棟の両端に鵄尾を置く。
社殿の奥には回遊式庭園の神苑があり、東、中、西と区分され約1万坪の広さがあり、左右に蒼竜・白虎の池をたたえ、春は紅しだれ桜、初夏は花菖蒲やさつき、水連、秋は萩や紅葉と四季の花を楽しみながら散策ができる。
冬の雪景色も趣があり、天正10年(1582)豊臣秀吉が架けた三条大橋や五条大橋の橋げたを使った臥龍橋など、明治を代表する7代目小川治兵衛の作庭になる庭苑である。
小川治兵衛といえば、宝暦年間から続く「植治(うえじ)」の代々の当主に受け継がれている名前なのだが、植治といえば7代目といわれるくらいに、明治期に活躍した7代目小川治兵衛が有名である。
万延元年(1860)に山城国乙訓郡神足村に生まれ、明治10年(1887)に六代目小川治兵衛の養子となり、先代の急死によって明治12年(1879)に「植治」を継ぎ、7代目小川治兵衛を継ぐことになる。
山県有朋により才能を認められ、新しい作庭技術を取り入れ明治期の有名な庭を数々手掛けている。
主なものとして、
無鄰菴(山縣有朋別邸:京都市左京区南禅寺草川町31)
平安神宮神苑(京都市左京区岡崎西天王町)
円山公園(京都市東山区円山町)
清風荘(旧西園寺公望邸:京都市左京区田中関田町)
などがある。
平安神宮(京都市左京区岡崎西天王町97)
京都駅から
▼「A1」乗り場から5系統で『岡崎公園・美術館・平安神宮前』下車(所要30分)
「岡崎公園・美術館・平安神宮前」から、北へ徒歩5分
コメント