東山には秀吉の正室であった、ねねが晩年を過ごした高台寺がある。
この寺は、北政所(ねね)が豊臣秀吉の菩提を弔うために、慶長11年(1606)に開いた寺院である。
慶長のはじめ、ねね(北政所)が寺町に一宇を建て康徳寺と称して、実母・朝日局の菩提を弔っていたが、秀吉の死後、北政所は仏門に入り高台院湖月尼を名乗り、寺を建て秀吉の冥福を祈り、永住の地としようとした。
それに徳川家康が北政所の歓心を買うために、酒井忠世や土井利勝に命じ、堂塔伽藍を建立し徳川幕府も寺領を寄付し、慶長11年(1606)開基し、北政所の法号にちなんで、高台寺と名付けられた。
当時は壮観きわまりないものであったが、度々の火災にあって建物の大半が焼け落ちてしまい、もとの建物は開山堂と霊屋と表門のみである。
開山堂と霊屋は慶長10年(1605)の建築になる。
霊屋の内陣須弥壇上の厨子には、豊臣秀吉よ北政所の坐像が安置されており、外陣の折上小組格天井(ごうてんじょう)の金碧の障壁画と楢上(のきうえ)の三十六歌仙図は、土佐光信の作という。
霊屋内の描かれた蒔絵文様は、籾山時代工芸美術の粋で、高台寺蒔絵として有名である。
庭園は西の苑地を偃月(えんげつ)、東の苑を臥竜(がりゅう)といい、臥竜池の東北隅枯滝組があり、丘上に、桃山城から移した、時雨亭と傘亭がある。
参照:【最新旅行案内京都】より
駒札には、
『鷲峰山(じゅぶざん)と号する臨済宗建仁寺派の寺で、正しくは高台寿聖禅寺(こうだいじゅしょうぜんじ)といい、「蒔絵の寺」として広く知られている。
豊臣秀吉の妻・北政所(きたのまんどころ:ねね、高台院)が、秀吉の菩提を弔うため、徳川家康の援助を受けて慶長11年(1606)に創建した。
創建当時、寺観は壮麗を極めたが、度重なる火災に遭い、現在は、開山堂、霊屋(おたまや)、表門、観月台、茶室の傘亭(からかさてい)と時雨亭(しぐれてい)が当時のまま残っており、いずれも重要文化財に指定されている。
北政所の墓所である霊屋には、秀吉夫婦の木像が安置され、須弥壇(しゅみだん)及び厨子(ずし)に施された高台寺蒔絵として名高い華麗な蒔絵装飾は、室町時代の漆工芸美術の粋が尽くされている。
開山堂の臥龍池(がりゅうち)と西の偃月池(えんげつち)を中心とする池泉回遊式の庭園は、小堀遠州の作と伝えられ、国の史跡、名勝に指定されている。
寺宝として、高台院像(重要文化財)、豊臣秀吉像をはじめ、蒔絵の調度品や絵画、その他の美術工芸品など、数多くの文化財を蔵し、その一部は、ねねの道をはさんだ「高台寺掌(しょう)美術館」で公開されている。』
出典:【高台寺の駒札】より
その高台寺を西に下るとねねの道となる。ねねの道までくると観光客が一変に増え、舞妓の姿で歩くひとや、カップルで手をつないで歩くひと、などなど、京という賑やかさが甦る。
高台寺(京都市東山区高台寺下河原町526)
京都駅から
▼「D2」乗り場から86・206系統で『東山安井』下車(所要19分)
「東山安井」から、東へ徒歩7分
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