九条通がJR奈良線を越え、東大路通と名を変えるあたりに、泉涌寺への参道がある。
京都市バスでは、京都駅から208系統に乗り「泉涌寺道」で降りると、目の前に泉涌寺へと続く道があり、「泉山御陵参道」と「西国十五番いまくまの観音寺」という道標が建ち、ここから泉涌寺へは、歩いて5分である。
泉涌寺道から5分ほどで総門があり、「御寺泉涌寺」の門額が掛かる。
総門を潜り、さらに歩くこと8分で、泉涌寺の大門となる。ここを通ると泉涌寺の境内となる。
泉涌寺は、古くから、皇室の香華院(菩提所)として有名であり、天長年間に弘法大師(空海)がこの地に法輪寺を建てた所であり、その後、承元年間(1207~1210)に月輪大師が堂宇を再興し、落成のときに清泉が湧き出したので、泉涌寺と改められたと伝えられる。
四条天皇以来歴代天皇の山稜が多く、皇室にも関係が深く、御寺と呼ばれる由縁である。
泉涌寺の駒札によると、
『真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室とのかかわりが深く「御寺」として親しまれている。
寺伝によれば、平安時代に弘法大師によって営まれた草庵を起こりとし、法輪寺(後に仙遊寺と改称)と名付けられた後、建保6年(1218)には宋(中国)から帰朝した月輪大師(がちりんだいし)・俊芿(しゅんじょう)に寄進され、大伽藍が整えられた。
その際、境内に泉が涌き出たことにちなんで泉涌寺と改められた。
仁治3年(1242)の四条天皇をはじめ、歴代多くの天皇の葬儀が行なわれ、寺内に御陵が営まれており、皇室の御香華院(菩提所)として厚い崇敬を受けてきた。
広い境内には、運慶の作と伝えられる釈迦仏、阿弥陀仏、弥勒仏の三世仏を安置する仏殿のほか、釈尊の仏牙(歯)を祀る舎利殿、開山堂、御所の建物を移築した御座所、霊明殿など数多くの伽藍が建ち並んでいる。
寺宝として、月輪大師筆の「泉涌寺勧縁疏(かんえんそ)」、楊貴妃観音堂に安置される、聖観音像など多数の貴重な文化財を所蔵する。
また謡曲「舎利」の舞台としても有名である。
山門の塔頭には七福神が祀られており、毎年、成人の日に行なわれる七福神巡りは、数多くの参拝客で賑わう。』
出典:【泉涌寺の駒札】より
泉涌寺の大門の横にある拝観受付の入口で、500円を払い中に入ると、左手すぐにあるのが「楊貴妃観音堂」である。
楊貴妃観音堂の駒札には、
『唐の玄宗皇帝の妃楊太真皇后は、楊貴妃の名で知られる絶世の美女であり、二人の愛情の深さは白楽天の「長恨歌」にたたえられている。
しかしその美貌のためにかえって、玄宗の失政と安禄山の乱をよび、唐の至徳元年(756)妃はその乱によって命を落とした。
安禄山が討たれた後、皇帝玄宗は亡き妃の面影を偲ぶため、香木によってその等身坐像にかたどった聖観音像を造ったと伝えられる。
建長7年(1255)中国に渡った湛海は、その像を持帰り、泉涌寺に安置したという。
以来、百年毎に開扉されてきた秘仏であったが、昭和31年(1956)から厨子の扉は参拝者のため開かれることになった。
仏体は寄木造で、手に極楽の花、宝相華を持ち、花宝相華唐草の透彫、その下に観音の冠を重ねている。
観音の慈悲と楊貴妃の美貌が渾然一体となった仏像で、口もとや目もとの曲線は、得も言われぬ尊容を漂わせている。』
出典:【楊貴妃観音堂の駒札】より
楊貴妃とは、中国の唐の時代の人で、姓は楊、名は玉環といい、玄宗皇帝の寵姫、いわゆる愛人である。絶世の美女であったがゆえに、安史の乱を引き起こし唐の国を傾けたと言われ、傾国の美女とも呼ばれている。
その運命は、玄宗皇帝に見初められ宮中に召し出されるが、その寵愛ゆえに一族郎党が出世をし、他の反感を一心に受けたことにより、755年に、安禄山が反乱を起こし、洛陽が陥落する安史の乱で、その命を失すのである。
美人薄命とはよくいったもので37年の生涯であった。
楊貴妃といえば世界の三代美人、その前に中国では、楊貴妃と西施・王昭君・貂蝉を加え中国四大美人といわれている。
西施は、越の王、勾践(こうせん)が、呉の王、夫差(ふさ)に、復讐のために献上した美女の一人で、貧しい薪売りの娘が、谷川で洗濯をしている所を見出された。策略は上手くいき呉はそれらの色香に迷い、国は乱れ越に亡ぼされるが、西施はその美貌を恐れられ勾践の妻によって、生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられてしまうのである。
王昭君は、漢の時代に匈奴の呼韓邪単于のもとに、人身御供となって嫁いだ女性で、呼韓邪単于が亡くなると義理の息子の妻となり、これが母との近親相姦にあたるとされ、王昭君の悲劇を招くこととなる。
貂蝉は、三国志の登場する架空の人物であるらしい。董卓と呂布の主従の間で、王允の計略により、二人を競わせて呂布が董卓を殺害し、貂蝉をものにすることになる。その後、関羽に切られるという筋書きや自害するという話もあるのだが、事実は不明である。
世界の三大美人は、楊貴妃、クレオパトラ、小野小町だが、この三人はあえて述べる必要はないだろうと思うのである。
世界三大美人も中国四大美人も、そのいずれもが数奇な運命を辿っているのは、美人なるがゆえの定めなのであろうか。
泉涌寺(京都市東山区泉涌寺山内町27)
京都駅から
▼「D2」乗り場から88・208系統で『泉涌寺道』下車(所要14分)
「泉涌寺道」から、徒歩10分
コメント