青蓮院は、左京区大原にある「三千院」と東山七条の「妙法院」と共に、天台宗の三門跡の一つとして知られ、江戸時代の天明の大火(1788年)で御所が焼けた時に、後桜町上皇と光格天皇の仮御所となったことから、粟田御所とも呼ばれている。
(後桜町上皇は、それ以降、現在の令和の天皇までの間で、最後の女性天皇となった天皇である。)

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駒札によれば、
『三千院、妙法院と並ぶ天台宗三門跡の一つで、天明の京都大火(1778)にさいし後桜町上皇の仮御所となったことから、粟田御所とも呼ばれる。
最澄(伝教大師)が比叡山に、僧侶の住居として建てた一つ「青蓮坊」が起こりで、平安時代末期の12代行玄(天台座主)のときに三条白川(現在地のやや北西)に移り、鳥羽法皇の第七皇子、覚快法親王が行玄の弟子として入寺して以来、皇族や摂関家の子弟が門主(住職)を務める「門跡寺院」となった。
歴代門主のうち、三代の慈円は歴史書「愚管抄」の著者として有名で、17代尊円入道親王は和風と唐風を融合した青蓮院流(のちの御家流)と呼ばれる書風で知られる名筆家であった。
境内全域が国の史跡に指定されており、粟田山の山裾を利用した庭園は、竜心池を中心とした優美な池泉回遊庭園で、主庭は相阿弥の、霧島の庭は小堀遠州作と伝えられている。
また神宮道沿いの門前には、この寺で出家した親鸞上人のお手植えと伝わる巨木な五本の楠(京都市登録天然記念物)がある。
寺宝として、青黒く画かれていることから「青不動」の名で知られる「不動明王二童子画像(国宝)」をはじめ、多数の文化財を蔵する。円山公園東の山頂に、飛び地の境内である将軍塚大日堂を有し、そこからの京都市街の眺めは格別である。』
                           出典:【青蓮院の駒札】より

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青蓮院の「長屋門」があり、青蓮院といえばこの景色というほどに、よく知られた門である。
この長屋門もまた、四脚門と同じく、明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したものである。
ここでは長屋門もさることながら、左右に立つクスノキがこの門と絡み、一際、時の流れを感じさせてくれる。
駒札によれば、
『このクスノキは、青蓮院の築地の上に四本、さらに境内の庭園内に一本が生育している。 
樹高は最大のもので26.1メートルに達する。いずれも幹から大枝を伸ばし、クスノキに特徴的な半球形のこんもりとしたみごとな樹冠を形成し、樹勢も良好である。
12世紀末に親鸞上人に植えられたとも伝えられているが、クスノキが現在の境内の地割に沿って生育していることから、青蓮院が現地へ移転した13世紀以降に植栽されたものと考えられる。
樹勢が旺盛で、樹形も優れているだけでなく、円山公園から平安神宮に続く神宮道の中で、青蓮院を含む地域の景観要素となっている大木として貴重なものである。』
                      出典:【青蓮院のクスノキの駒札】より

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青蓮院はまた、青不動と呼ばれる国宝の「不動明王二童子画像」があり、(現在はパプリカの展示で、本物は非公開)大津の園城寺の「黄不動」と、高野山明王院の「赤不動」と共に、三不動と呼ばれている。
また昔は、知恩院から東山ドライブウエイを、京津街道九条山から蹴上の裏を通っての、将軍塚までの広大な寺域を有したといい、今なお9000坪の広さがある。
なお将軍塚は、青蓮院の飛び地境内となっている。

青蓮院(京都市東山区粟田口三条坊町69-1)
京都駅から
▼「A1」乗り場から5統で『神宮道』下車(所要27分)
 「神宮道」から、徒歩3分