山内家下屋敷長屋から(ホテル三翆園から)鏡川に向けて5分ほど歩くと、鏡川のふちに、「山内神社」がある。

01山内神社min
山内神社は、文化3年(1806)、土佐藩10代藩主豊策(とよかず)により、高知城内の野中兼山邸跡(現、高知県立図書館・文学館)に、一豊と千代(見性院)、二代藩主忠義を祀った「藤並神社」を建立したことに始まる。
明治4年(1871)、土佐藩最後の藩主(16代)豊範(とよのり)が、藤並神社の御旅所であった現在地に、3代から14代までの藩主を祀った。
昭和9年(1934)に、15代豊信公(容堂)と16代豊範公の明治維新の功績を称え、「別格官幣社山内神社」として創建されるが、昭和20年(1945)の空襲で焼失し、昭和45年(1970)に社殿が再建された折に、土佐藩歴代の藩主を合祀した。

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境内に古い手水鉢が残るが、
『文化3年(1806)、高知城内の旧野中兼山邸跡(現、高知県立図書館・文学館)に、一豊・夫人見性院・二代藩主忠義を祭神とする藤並神社」が建立されました。
創建当時の神号は明神でしたが、天保6年(1835)には大明神に昇格し、これを祝って、翌天保7年に国をあげての大祭が行われました。
この大祭にあったて、藤波神社の御旅所がこの地に設けられ、領内各町・村・浦からの寄進物の奉納も許可されました。
この手水鉢は、大祭にあたって吾川郡秋山村(現春野町)から寄進されたものです。
                                   出典 手水鉢の駒札
「天保7 中二月 吉日」と刻まれているのが分かる。
ここから鏡川はすぐで、よさこい祭りの花火大会の時には、境内には立ち入りが出来なくなるのである。