知恩院三門から円山公園に続く南門を出ようとする処に建つのが「師弟愛の像」である。
像の横にある説明板には、
『嗚呼、暴にして無情の室戸台風、くずれ落ちる校舎の下に七人の教え子をかばいながら、荒れ狂う天空に必死の加護を祈る女教師の崇高な姿。
腕に胸に膝にすがって師の無限の愛情に、恐怖をこらえる幼い児童達の傷々しい姿、死線を越えた師弟純愛のこの群像は、見る人をして胸を打たれ、聞く人をして襟を正さしめ、ひたすらに冥福を祈り、合掌黙祷を禁じ得ないのであります。』
出典:【師弟愛の像の説明板】より
この「師弟愛の像」は、昭和9年(1934)9月21日の室戸台風が近畿地方を直撃し、(高知県の室戸に上陸したので、室戸台風と名付けられた。
大阪、京都、奈良などは、殆んど台風の被害を受けることはないのだが、唯一、紀伊水道を抜けて大阪湾へのコースをとった時に大きな被害を受ける。
この時の室戸台風もこのコーズをとったのである。)
京都市でも午前8時頃から暴風雨が強まり、淳和小学校(現、西院小学校:右京区西院春日町)も1時間目が始まった時に、木造の校舎が音を立て始めると、一瞬にして校舎の一部が倒壊し、1年生200余名と先生4名が下敷きとなった。
懸命の救出活動もむなしく、児童32名、先生1名が亡くなった。
この亡くなった先生が一年「に」組を受け持っていた、松浦寿恵子先生(1904~1934)である。
松浦先生は児童をかばい命を落としたが、その両脇に抱えられた2名の児童は無事助け出された。
その崇高な精神を称え、市民有志がこの像を建てたといい、吉井勇は台座に、『かく大き愛のすがたをいまだ見ず。この群像に涙しなかる』と刻んでいる。
現在は、大雨警報で学校は休みとなるのに、今ではとても考えられないことである。
京都では、戦前に小学校教育を受けた人はよくこの話を聞かされたという。
そんな話も今では遠い昔の物語りとなってしまったのだろうか・・・
そんな銅像も戦時中には供出され、この像は戦後に再建されたものである。
師弟愛の像(京都市東山区林下町)
京都駅から
▼「D2」乗り場から206系統で『知恩院前』下車(所要23分)
「知恩院前」から、徒歩5分
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