東大路通から冷泉通を西に歩くと、京都市上下水道局の疎水事務所がある一角に、琵琶湖疏水の建設に尽力した、第三代京都知事の北垣国道(くにみち)の銅像が建っている。
北垣国道は、天保7(1836)年から大正5(1916)年を生きた幕末の志士で、明治になり官僚となった人物である。
北垣が京都の知事となった頃の京の町は、東京遷都により活気を失っており、何とかして昔日の京都に戻そうとして、一大事業を考えたのである。
それが琵琶湖から水を引いて、電力・水運・水道の三大事業を起こし、京の町に活気を取り戻そうと考えたのである。
その事業に若い、工部大学(現在の東京大学工学部)出の、田邊朔郎を起用し琵琶湖疎水の工事に当たらせたのである。
説明板には、
『北垣国道は、第三代京都府知事として1881年~1892年の在任中に、東京遷都による京都再生のため琵琶湖疏水を計画し、広く市民にその有用性を説いて1890年に寛政させた。
発電・運河・灌漑・飲料水・防火・工業などその水利の効用はきわめて大きく、感謝の意をこめて1902年、この地に知事の像が建立された。
しかし、第二次世界大戦中に供出により失われたため、琵琶湖疏水100周年と京都桂ライオンズクラブ25周年記念を期し再建された。』
出典:【京都府知事 北垣国道】より
この銅像は、明治35(1902)年に建てられたが、太平洋戦争での金属供出にあって、台座だけが残っていたものに、平成2(1990)年に、琵琶湖疏水100周年を記念して再建されたものである。
台座に書かれた碑文には、
『正三位勲二等男爵北垣國道君曩為京都府知事也主講水利廣論都下人士起琵琶湖疏水之工自明治十八年八月至廿三年四月告竣疏鑿三里導流一道而水力之用運輸之利極大矣於是衆咸頌其功胥謀銅鋳君像立干水上以表永遠懐恵之意云
明治丗(三十)五年八月建 京都市参事會』
といかにも明治らしい漢文によって琵琶湖疏水事業に功績があったことが刻まれている。
北垣国道の像(京都市左京区聖護院蓮華蔵町35)
京都駅から
▼「D2」乗り場から206系統で『東山二条・岡崎公園口』下車(所要16~19分)
「東山二条・岡崎公園口」から、冷泉通りを西に、徒歩6分
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