山科に住まいした頃より大石内蔵助は、花街で遊び呆けるようになる。
仮名手本忠臣蔵では、祇園の「一力」で遊んでいるのだが、だとされているのだが、本当は、伏見の遊郭「橦木町」にあった「萬屋(よろづや)」という遊郭であったという。

01萬屋mid
橦木町の遊郭「萬屋」で、大石内蔵助が討入りを欺くために遊興にふけったと云われている。
「橦木町廓入口」の石碑がある所から、西に少し入ったところに、「大石良雄遊興之地」と刻まれた石碑がひっそりと建っている所に「萬屋」があった。
山科の大石の寓居から、大津街道(勧修寺から稲荷山の南麓に抜ける道)を通れば、「萬屋」はそう遠くはないのである。

02一力mid
この遊興が、敵を欺くためと云うのだが、大石は、本来、酒と女が好きで、遊ぶことが嫌いではなく(酒も女も嫌いなら、毎夜毎夜遊びほうけることは出来ないと思うのだが)、ここで一時の憂さを晴らしていたのだろうか。
だが、これは仮名手本忠臣蔵の創作だという説もあるようだが・・・
しかし、それを差し置いても、大石内蔵助という人物は人心を纏め、裏切り者をも出さず、目的を遂行したという、歴史上の評価は変わることはないのである。

撞木町遊郭跡(京都市伏見区b撞木町1164-1)
京都駅から
▼近鉄電車京都線で「伏見」下車(所要4分)
「伏見」から、東に徒歩10分