伏見区大坂町に、今は伏見幼稚園となっている所が、東本願寺の伏見別院である「伏見御堂」があった所である。伏見御堂は、慶長年間(1596~1615年)東本願寺の第12代法主・教如の創建になる。幕末の慶応4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが起こる前日に、 ...
2024年09月
伏見土佐藩邸/鳥羽伏見の戦いをゆく
平成21年に、伏見に史跡を示す新しい石碑が6ケ所に建立された内の一つで、月桂冠情報センターの敷地内に建つのが「伏見土佐藩邸跡」京都市伏見区南浜町にあり、この辺りに土佐藩邸があった。鳥羽伏見の戦いでは、山内容堂は参戦を禁じたのだが、板垣退助の密命で、一部の ...
伏見長州藩邸/鳥羽伏見の戦いをゆく
京橋から竹田街道を南に歩くと、京都伏見土木事務所の前に「伏見長州藩邸跡」の石碑が建っているのだが、屋敷は禁門の変で焼失をしており、鳥羽伏見の戦いのときには存在していない。寺田屋からも徒歩3分の所だが、ここは禁門の変(蛤御門の変)で戦いがあった所で、長州藩 ...
薩摩島津伏見屋敷/鳥羽伏見の戦いをゆく
伏見には幕末を動かした諸藩の藩邸、「薩摩伏見屋敷」「伏見長州藩邸」「伏見土佐藩邸」「会津藩駐屯地」などがあった。まずは薩摩伏見屋敷の跡から・・・寺田屋から薩摩伏見屋敷までは、直線距離で北に800m、長州藩邸からも1Kmの所にある。駅でいうと、京阪の「伏見 ...
伏見口の戦い激戦地址
伏見の豪川に架かる「京橋」の辺りは、鳥羽伏見の戦いで、会津藩の先鋒がここに上陸をし、薩摩軍と戦った所でもある。京橋の謂われを駒札に見ると、『この橋を京橋という。橋下の流れは宇治川に注ぎ、淀川に通じている。淀川の水運は、古くは京・大阪を結び、また琵琶湖を経 ...