2024年08月

京都御苑の南西の角に、一本の大きな椋の木がある。樹齢300年とも云われ、この辺りに清水谷家の屋敷があったことから「清水谷家の椋」と呼ばれている。清水谷家は西園寺家の一門で、鎌倉時代に西園寺公経の二男、実有を祖とする公家である。雅楽を家業として天皇に仕えた ...

堺町御門は京都御苑の南側、丸太町通に面する唯一の御門であり、幕末の二つの大きな政変に関わっている門として知られている。まずは文久3年(禁門の変の前年)8月18日に、尊皇攘夷を唱える三条実美(さねとみ)らの公卿7人と、長州藩士を京から一掃しようとし、孝明天 ...

蛤御門は、京都御苑西側のほぼ真ん中にある門で、地下鉄烏丸線の「丸太町」または「今出川」のどちらの駅からも、歩いて12分である。蛤御門は、京都御苑西側のほぼ真ん中位に位置している。蛤御門は、本来は新在家御門と言われていた高麗門型の筋鉄門である。江戸時代の大 ...

元治元年(1864)6月に長州を出発し、益田右衛門介、久坂玄瑞らは山崎宝積寺に、国司信濃、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺に、福原越後は伏見長州屋敷に兵を集める。この時に朝廷から退去の命が届くのだが、それに恭順の意を示したのは久坂だったが、来島や真木らに押し切ら ...

幕末、公武合体派の会津・薩摩藩と、天皇親政を唱える長州藩との対立が深まるなか、文久3年(1863)8月18日の政変で京を追われた長州藩では、朝廷での勢力を取り戻そうと、武力をもって朝廷へ意見具申を主張する来島又兵衛や真木保臣ら急進派と、慎重論を唱える桂小 ...

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