2024年08月

市バスを「東山安井」で降り、東山に向かって10分ほど歩くと「京都霊山護国神社」がある。明治元年(1868)につくられた招魂社(国のために亡くなった人を祀る)を、昭和14年(1939)に、本殿や拝殿をつくり「京都霊山護国神社」」とする。霊山には、近江屋で暗 ...

今出川通烏丸東入にある相国寺の東門を出てすぐの所に、薩藩戦死者の墓がある。その墓碑には「甲子役 戊辰役 薩藩戦死者墓」と刻まれ、二つの戦にて戦死した薩摩藩の武士が弔われている。一つは、「甲子役」これは元治元年(1864)に起きた「禁門の変」のことで、京を追 ...

六角獄舎は平安時代に設置された牢獄で、京の市中を転々とし宝永5年(1708)京の町を灰燼に帰した、宝永の大火以降に中京区六角通大宮西入南側に移り、六角獄舎と呼ばれ幕末まで牢獄として使用された。六角獄舎の地は「勤皇志士・平野國臣外数十名の終焉之地」であり「 ...

禁門の変は一日で終わり、一方的に長州側の負け戦となり、久坂玄端や寺島忠三郎らが自刃した堺町御門近くの鷹司邸と、長州藩が敗走の祭に火をつけた長州屋敷の二か所からあがった火の手が、京の町を焼き尽くしてしまうのである。世に「どんどん焼け」と云われ、天皇が東京に ...

丸太町通に面し御苑の南側にある堺町御門を入ると、正面の築山のなかに「鷹司邸跡」の石碑が建っている。鷹司家は鎌倉時代中頃に、近衛家から別れた五摂家の一つである。摂家とは藤原氏嫡流の公家で、摂政・関白・太政大臣という公家の頂点の職に任じられる家をいい、鎌倉時 ...

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