誓願寺から新京極通を南に2分ほど歩くと、和泉式部の寺として知られる「誠心院」がある。和泉式部は、天元元年(987)に生まれた、平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙の1人である。父は、越前守・大江雅致(まさむね)、夫は和泉守・橘道貞で、後の女房名は父の官名と ...
2024年06月
和泉式部の霊が出る謡曲「誓願寺」
謡曲「誓願寺」は世阿弥の作と云われ、和泉式部と一遍上人とが誓願寺の縁起と霊験を語るという筋立てで、その中で和泉式部が歌舞の菩薩となって現れるという物語である。謡曲「誓願寺」は、『一遍上人が熊野権現に参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生(けつじょうおうじょう)六 ...
信長の「敦盛」
平敦盛を討ち取った熊谷直実はそれ以降、深く思うところがあり、出家への思いが強くなるのである。熊谷直実は源平合戦の寿永3年(1184)の「一ノ谷の戦」で、平敦盛に出会い沖の船に向かっている敦盛を呼び戻し、勝負の末にその首を切り落とした源氏方の武士である。明 ...
扇塚から「平敦盛」
五条大橋の「扇塚」から平家の公達・平敦盛へとつながってゆくのだが・・・写真1扇型の石碑が敦盛の悲話を伝えるのは、寿永3年(1184)一ノ谷の戦いで、平家の公達・平敦盛が源氏の熊谷直実に討たれたことに始まる。一ノ谷の戦に破れ沖の船に逃げ行く中に、練貫(ねり ...
扇塚の地にあった「時宗御影堂」
この五条大橋の袂「扇塚」の建つ辺りにあったのが「新善光寺」(別称を時宗御影堂)である。時宗は浄土教の宗派で、一遍上人の開創になる。法然の開いた浄土宗は、信心を表すのに念仏を唱えよと説き、時宗は信心とは関係なく念仏さえ唱えれば極楽往生が得られると教えたので ...