鷹峯は徳川家康が本阿弥光悦に下賜された土地で、光悦一族がここに移り住み一大芸術村となった所である。本阿弥光悦は、江戸時代初期の書家・陶芸家で茶の湯など諸芸全般に関わりを持ち、特に書は近衛信尹・松花堂昭乗と並び、寛永の三筆と称されるほどであった。光悦は、相 ...
2024年05月
栄西が開山し風神雷神図屏風がある「建仁寺」
宮川町と祇園の花街に挟まれた、いかにも京都の寺というのが「建仁寺」。栄西禅師が開基として、京都で最初に開いた禅寺である。14の塔頭が回りにある中、勅使門・三門・法堂・方丈が一直線に並び、いかにも禅寺らしいたたずまいである。建仁寺は、建仁2年(1202)に、 ...
芙蓉池の庭園があり足利尊氏が創建した「等持院」
京で室町幕府の足利家に関わる寺は、金閣寺や銀閣寺が知られているのだが、等持院もまた足利家に関わりのある寺なのである。嵐電北野線で「北野白梅町」から一駅目が「等持院」その次が「龍安寺」の駅である。等持院の駅は、2面2線のホームを持つ地上駅である。ここから龍 ...
安産の神でわら天神と呼ばれる「敷地神社」
わら天神、その名を敷地神社という。この社の謂れは、もとは北山の神として衣笠村の村社としてあったのだが、天長8年(831)にこの地に氷室が設けられ、それを管理するために加賀国から移住した人達が、敷地天神を加護し北山の神の隣に祀った。ところが応永4年(139 ...
京都御所一般公開の入口であった「宜秋門」
御車返しの桜から、御所の「宜秋門(ぎしゅうもん)」が見える。御所にある六つの門のうちの一つで、御所の西側にあって一番南に位置する門である。かつて御所が春と秋の一般公開では、この門から入り「清所門」から出るという順路であった。宜秋門は、平安京内裏の外郭門の ...