伏見桃山は東山丘陵の南端にあたり、南には巨椋池が広がり、奈良や大坂への要衝の地だったのである。その伏見の地に築かれたのが、伏見城である。最初の伏見城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)直後の、文禄元年(1592)に、自身の隠居所として、伏見指月(現在の京都 ...
2024年03月
六勝寺の一つ八角九重塔が立つ「法勝寺」
岡崎にはその昔、六つのお寺があった所で、その六つの寺を称し「六勝寺」という名で呼ばれていた。六勝寺とは、院政の期(12世紀)にこの岡崎に天皇の個人的な思いで、豪壮華麗な寺が建てられたもので、ときの天皇の権力によりその規模は異なるが、その何れの寺にも「勝」 ...
琵琶湖疎水を利用した「蹴上発電所と浄水場」
蹴上には琵琶湖疏水と共に、日本の近代化に貢献したものがあり、それは蹴上発電所と蹴上浄水場である。蹴上発電所は琵琶湖疏水の建設と共に造られたもので、明治24年(1891)6月に、2台の発電機で運転を始め、この電力により日本初の市電が、明治28年(1895) ...
南禅寺船溜に「琵琶湖疏水記念館」
六勝寺のこみち(仁王門通)を疏水に沿って歩くと、みちは大きく右に曲がっていく。その曲り角(南禅寺船溜)に「琵琶湖疏水記念館」がある。この記念館は、琵琶湖疏水竣工100周年を記念して、平成元年(1989)に建てられたもので、疏水の意義を後世に伝えると共に、 ...
蹴上には琵琶湖疏水の「インクライン」
蹴上は琵琶湖疏水がひかれた時に、この間だけは高低差が大きく、船をとおす水路をひくことが出来ず、一旦、船を台車に乗せ九条山から南禅寺船溜までを運んだのであり、傾斜鉄道との意味から、インクラインと呼ばれ、この両側に桜の木が植えられて、今では春になると花見の人 ...