京都御苑西側の烏丸通りに面する蛤御門前、もと中院家邸跡の地に、和気清麻呂公と姉の和気広虫姫を主祭神とした護王神社がある。東の烏丸通に一の鳥居があり、北の下長者通に二の鳥居をもつ。護王神社は和気氏が、高尾の神護寺に和気清麻呂公を祀ったことに始まる。清麻呂公 ...
2023年09月
槇村正直に招かれ陶磁器や七宝、ガラス、煉瓦、石鹸製造を指導した「ゴッドフリード・ワグネル」
京都市役所前でバスを降り河原町通を北に少し歩き、夷川通を東に入り一つ目の角に「銅駝美術工芸高等学校」がある。この場所が明治の始めに「舎密局(せいみきょく)」があった処である。(銅駝美術工芸高は、令和5年(2023)4月に、京都駅東の崇仁地区の鴨川近くに移 ...
修学院離宮を訪ね隔莫記に感想を記した「鳳林承章」
修学院離宮は、高野川の東、比叡山雲母(きらら)坂の西麓にあり、叡山電鉄「修学院」の駅から、修学院離宮道を東に20分ほど歩くことになる。(または、京都市バスで「修学院道」下車、徒歩15分)離宮は御茶屋といい、総面積27㎡で上御茶屋・中御茶屋・下御茶屋の三つ ...
八条家の智仁親王と智忠親王父子により造営された「桂離宮」
平成28年(2016)に「桂離宮」を訪ねた時には、まだ当日受付はなく、あらかじめ予約が必要であった。突然訪ねた身では、中に入ることも出来ず、入口から引き返さざるを得なかったのだが・・・桂離宮は、正親町天皇の皇孫である桂宮家の別荘で、初代・八条宮智仁(とも ...
日明貿易を再開した「足利義満」
日明貿易とは、室町時代に中国の明と行った貿易で、倭寇(朝鮮半島や中国大陸沿岸で活動した日本の海賊)や密貿易と区別するため勘合(かんごう:二つの札を合わせて照合する証明札)を使用したことで勘合貿易とも呼ばれる。中国との貿易は、延喜7年(907)に唐が滅んで ...