土佐藩邸跡の横の蛸薬師橋を渡り、高瀬川の西岸にある西木屋町通を北に歩くと、山崎橋のたもとに「彦根藩邸跡」の石碑が建っている。茂山千五郎家は、江戸時代に大和猿楽の狂言を伝える大蔵流を継承していたが、その名を世に出さしめたのが、幕末の9世茂山千五郎正虎の代で ...
2023年08月
風姿花伝の著者で幽玄能を大成した「世阿弥」
京都駅から、D2乗り場から208系統のバスに乗り、「今熊野」で降りる。そこから歩いて3分のところに、平清盛の後白河法皇への忠誠心から造営したという「新熊野(いまくまの)神社」がある。新熊野神社は、平安後期の永暦元年(1160)に、後白河上皇が紀州熊野神社 ...
千宗旦に因む宗旦稲荷社がある「相国寺」
相国寺は、相国承天禅寺ともいい、永徳3年(1383)に、夢窓国師を開山として足利義満が建てたものである。創建当初は堂塔伽藍がひしめき盛大を極めたが、応仁の乱で戦禍にあい荒廃をしたが、豊臣・徳川によって再興されたのだが、天明の大火(天明8年:11代将軍・徳 ...
藤原為相を祖とし800余年の歴史を持つ和歌の「冷泉家」
京都御所を見て、西側の一番北にある乾御門より烏丸通に出た。遅い昼ご飯を、烏丸今出川の松屋で「牛めし」をかきこんで、今迄みる機会がなかった、今出川通烏丸東入ルにある冷泉家へと向かった。冷泉家は今も住居として使われており何時もは表門は閉まっていて中に入ること ...
京都文化博物館別館を設計したのは「辰野金吾」
京都文化博物館別館は、三条高倉の角にあり、明治39年(1906)に設計は辰野金吾と弟子の長野宇平治で日本銀行京都支店として建てられた煉瓦造りの重厚な建物である。昭和40年(1965)に河原町二条に移転されるまで営業された。移転後の建物は平安博物館として、 ...