京都御苑を所管する官公庁はという設問なのだが・・・京都御苑のあらましは、『京都市内の中心部にあって深い緑に包まれた京都御苑は、東西700m、南北1,300mのほぼ長方形をしており、このうち京都御所や大宮・仙洞御所などを除いた63haが「国民公園」として終日開 ...
2023年06月
明治・大正の洋風建築が残る「三条通」(その2)
京都文化博物館三条高倉の角にあり、明治39年(1906)に設計は辰野金吾、長野宇平治で日本銀行京都支店として建てられた煉瓦造りの重厚な建物である。昭和40年(1965)に河原町二条に移転されるまで営業された。移転後の建物は平安博物館として、昭和61年(1 ...
明治・大正の洋風建築が残る「三条通」(その1)
年末の京都検定2級の受験に備えるために、過去京都検定2級の過去問題に出た場所を訪ねてみようと思う。三条通は、東は山科区四宮から西は右京区の嵐山に至る東西の通りである。東海道の旧道と旧国道1号線とが合流と分離を繰り返し、三条大橋が東海道五十三次の終点となる ...
師弟愛の像(円山公園)/京の銅像
知恩院三門から円山公園に続く南門を出ようとする処に建つのが「師弟愛の像」である。像の横にある説明板には、『嗚呼、暴にして無情の室戸台風、くずれ落ちる校舎の下に七人の教え子をかばいながら、荒れ狂う天空に必死の加護を祈る女教師の崇高な姿。腕に胸に膝にすがって ...
目玉の松ちゃんの胸像(下鴨神社)/京の銅像
出町柳から河合橋を渡り、糺の森の入口にあるのが、葵公園である。この一角に、尾上松之助の胸像が建っている。尾上松之助といっても、その人誰という感じだろうが、尾上松之助は明治から大正にかけて、日本映画の大スターである。明治42年(1909)に、日本映画の父と ...