2023年05月

そして10月、大石は江戸へと向かうのだが、忠臣蔵では「大石東下り」として、一場面が設けられている。道中、箱根で曽我兄弟の墓に参り、仇討ちの成功を祈願したという。東下りにおいて大石は、垣見五郎兵衛の名を使い江戸に向かっているのだが、途中で本物の垣見五郎兵衛 ...

泉岳寺には大石内蔵助の銅像が建つ。赤穂浪士の吉良屋敷への討ち入りは、大石を抜きにしては語ることは出来ない。大石がいなければ、討ち入りは有り得なかったのである。浅野内匠頭の刃傷が赤穂に伝わり、続いて切腹の沙汰が下りたことを知った大石は、城に家臣を集めるが、 ...

大石内蔵助の像に因んで、忠臣蔵(赤穂事件)のいきさつを紹介してきたが、ここで京の銅像に戻り大石について述べることにしよう。まずは大石良雄を祭神とする「大石神社」から始めよう。大石神社の最寄駅は京都市営地下鉄東西線の椥辻なのだが、ここから歩くと30分の距離 ...

千馬三郎兵衛光忠(裏門:51才)は、直言実直の人物で融通が利かず、主君の内匠頭にも諫言をし、不興をかい閉門まで命じられ、浅野家を暇乞いする前に刃傷沙汰が起こり、嫌われていても、「君、君たらずとも、臣は臣」であるとして、同志に加わり吉良邸に討ち入っている。 ...

菅谷半之丞政利(裏門:44才)は、山鹿流の兵学を学び、免許皆伝を受けたという。忠臣蔵では、父・半右衛門は、後妻に若い「岩」を貰ったが、お岩は半之丞の有ること無いことを半右衛門に告げ、半之丞は勘当されるのである。風の便りに父・半右衛門が亡くなったと聞えてく ...

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