東海道五十三次の東の始まりが江戸の日本橋なら、西の終りが京の三条大橋である。日本橋から532Kmの距離で、今では東名、名神と高速を車で5時間、新幹線では2時間と少し、東海道を日本橋から三条大橋までを歩きとおしたという人はその頃でもそう多くはなかったのでは ...
2023年05月
大石遊興の橦木町遊郭/京の銅像
山科に住まいした頃より大石内蔵助は、花街で遊び呆けるようになる。仮名手本忠臣蔵では、祇園の「一力」で遊んでいるのだが、だとされているのだが、本当は、伏見の遊郭「橦木町」にあった「萬屋(よろづや)」という遊郭であったという。橦木町の遊郭「萬屋」で、大石内蔵 ...
橦木町遊郭/京の銅像
山科に住まいした頃より大石内蔵助は、花街で遊び呆けるようになる。忠臣蔵では、唯一、華やかさを演出する場面となる。その場面は、祇園の「一力」で遊んだとされているのだが、実際は、伏見の遊郭「橦木町」にあった「萬屋(よろづや)」という遊郭で遊んだようである。 ...
大石内蔵助の隠棲の跡/京の銅像
大石内蔵助は赤穂を出ると山科の岩屋寺の一角に居を構えるのである。赤穂城が明け渡しとなると、藩士は他家に仕官したり、旧知を頼って行く者などがあり、そして大石と行動を共にするもの達は、大阪、伏見、京都などの居を構えるのである。江戸詰めの者は、藩邸を出て借家住 ...
大石ゆかりの「岩屋寺」/京の銅像
大石神社の南にあるのが岩屋寺で、このあたりが大石内蔵助が住まいした所といわれる。。 岩屋寺の参道の入口に建っているのが、「大石太夫閑居址」の石碑で、この長い坂道を登っていくと「岩屋寺」である。神遊山岩屋寺と号する、曹洞宗の寺であり大石内蔵助と繋がり ...