夷川通川町東入るに「銅駝美術工芸高」がある。この場所は明治の始めに「舎密局(せいみきょく)」があった処である。舎密とはオランダ語シェミーの訳語で、化学のことである。京の産業を振興すべく、京都府が設立した理化学研究所である。駒札には、『「舎密」とはオランダ ...
2023年05月
田邊朔朗の像(蹴上・疏水公園)/京の銅像
疎水公園の中に、工部大学(現東大)を出て疏水工事を担当した、田邉朔郎博士の銅像が建っている。工部大学を出たての若い人材を、この一大プロジェクトに起用したのは、その当時の大学出はエリートであり又、その期待に応えられるだけの力を持っていたのである。少し長くな ...
北垣国道の像(琵琶湖疎水・戎川ダム)/京の銅像
東大路通から冷泉通を西に歩くと、京都市上下水道局の疎水事務所がある一角に、琵琶湖疏水の建設に尽力した、第三代京都知事の北垣国道(くにみち)の銅像が建っている。北垣国道は、天保7(1836)年から大正5(1916)年を生きた幕末の志士で、明治になり官僚とな ...
津崎村岡局の像(嵐山の亀山公園)/京の銅像
西郷隆盛が「近衛家の清少納言」と褒め称えた村岡局は、名は矩子(のりこ)といい、天明6年(1786)大覚寺門跡・津崎左京の娘として、嵯峨に生まれる。13才で近衛忠熈(ただひろ)に仕え「村岡」と名を改め、安政元年(1854)篤姫が、徳川14代将軍・家定のもと ...
桂小五郎の像(京都ホテルオークラの北西)/京の銅像
桂小五郎のちの木戸孝允は、明治維新を主導した人物たちの中で、逃げの小五郎と陰口をたたかれながらも、暗殺や兵禍にも遭わず唯一、畳の上で亡くなった人物である。河原町通を御池までくると、通りを越した右側に「京都ホテルオークラ」が見えてくる。この場所が、長門国萩 ...