泉岳寺に祀られた四十七士は、それぞれ預けられた大名家ごとに並んでいる。肥後熊本藩細川家に17名、長門長門藩毛利家に10名、三河岡崎藩水野家に9名、伊予松山藩松平家に10名が預けられている。ここからは四家に預けられたごとに、その人物像を忠臣蔵の名場面や赤穂 ...
2023年04月
赤穂義士の墓所/忠臣蔵(赤穂事件)
討ち入りを終え泉岳寺に戻った赤穂浪士は、その身柄を幕府に委ねるのである。徳川幕府は赤穂浪士の取り扱いをどうするかを考えあぐねるのだが、忠なるも公に弓引いた者として、切腹の沙汰を下し、それぞれに預けられた大名屋敷にて切腹させるのである。その亡骸はただちに、 ...
泉岳寺引き上げ/忠臣蔵(赤穂事件)
吉良の首級を取った赤穂浪士は、両国本所松阪町の吉良邸から、高輪の泉岳寺まで引き上げて、浅野内匠頭の墓前に吉良上野介の首を供えることであった。討ち入りを終えた赤穂浪士は、午前6時頃に両国の吉良邸を出発し、泉岳寺へと向かうのだが、どこかで隅田川を渡る必要があ ...
討ち入り(その2)/忠臣蔵(赤穂事件)
討ち入りについては、忠臣蔵での映像が目に浮ぶのだが、これは後に脚色されたもので史実とは少し違っている。ここでは、事実や虚実を織り交ぜて、討ち入りの景色を描いてみようと思うのである。吉良の屋敷に討ち入った赤穂浪士は四十七名、表門に付いた大石内蔵助が、一打ち ...
討ち入り(その1)/忠臣蔵(赤穂事件)
元禄15年12月14日、「一打ち二打ち三流れ、墨田の川風を揺るがして響く山鹿の陣太鼓」、赤穂浪士四十七士が本所松阪町の吉良邸に討ち入ったのである。12月14日に討ち入りが決まると、それまでにさらに数人が姿を消し、最終的には四十七名にて吉良に討ち入ることと ...




