前原伊助宗房(裏門:40才)、伊助の出自も随分と脚色され、前の名を原田次郎吉といい、ある時、下坂十太夫という侍と口論となり、試合で十太夫を負かしてしまい、その事で下坂家は断絶となってしまう。後に赤穂藩の月岡十郎左衛門に仕えるが、月岡が斬り殺されると、主の ...
2023年04月
毛利家(その2:赤穂義士御預先)/忠臣蔵(赤穂事件)
杉野十平次次房(裏門:28才)といえば俵星玄蕃との話で知られ、三波春夫の長曲(約9分の長さ)「元禄名槍譜 俵星玄蕃」でその関係が語られている。「姿そばやに やつしてまでも 忍ぶ杉野よ せつなかろ・・・」と、夜なき蕎麦屋の十助として吉良邸を探っていたが、俵星 ...
毛利家(その1:赤穂義士御預先)/忠臣蔵(赤穂事件)
泉岳寺墓所の中央に立っている墓石が、長府藩毛利家・毛利甲斐守綱元の江戸下屋敷に預けられた赤穂義士である。この藩は赤穂義士に対しては厳格に接し、当初は罪人扱いをしていたようである。この屋敷に預けられたのが、岡島八十右衛門常樹(表門:38才)、20石取りの札 ...
細川家下屋敷(赤穂義士御預先)/忠臣蔵(赤穂事件)
肥後熊本藩細川家の下屋敷は、泉岳寺の裏、高輪1丁目あたりにあった。細川家は赤穂義士が預けられた四家のなかで17名と一番多くの義士を預かっているのだが、その対応は他家と比べて赤穂義士には好意的であった。午後10時に引き渡しの命を受け、細川家の下屋敷に着いた ...
細川家(その2:赤穂義士御預先)/忠臣蔵(赤穂事件)
細川家お預けになった後の6名は、大石から下に並んで立っている。潮田又之丞高教(裏門:35才)は、大石の叔父の娘を妻に迎え、大石とは親戚筋にあたり、大石の信頼も厚く討ち入りまで、大石の下で陰日なたなく働いた。吉良上野介を討ち取ると、その首級を槍の先に括りつ ...