泉涌寺から5分ほど歩き、来迎院からさらに奥に下に水は流れていないが、赤い「鳥居橋」を渡ると泉涌寺の塔頭である「今熊野観音寺」がある。境内を入るとすぐに、弘法大師の像と子供がじゃれ合う「子まもり大師」の像がある。この大師像の周りは、四国八十八ケ所霊場のお砂 ...
2023年01月
弘法大師修業の像(東寺)/京の銅像
京の町には寺社・仏閣が多くあり、それゆえに宗派を開いた僧の銅像が多く建っている。ここからは、それらを訪ねてみようと思い、まずは真言宗を開いた弘法大師が、四国八十八ヵ所で修行をしたお姿の像が建っている東寺から・・・弘法大師とは、延喜21年(921)に醍醐天 ...
坂本龍馬・中岡慎太郎之墓(東山霊山)/京の銅像
坂本龍馬と中岡慎太郎は河原町の近江屋で暗殺され、その亡骸は霊山の地に埋葬されるのだが、二人の墓所にも「坂本龍馬と中岡慎太郎の像」が建っている。慶応3年(1867)11月15日、河原町醤油商の近江屋で暗殺された、龍馬と慎太郎はこの霊山の地に並んで葬られてい ...
「龍馬とお龍、愛の旅路」像(伏見)/京の銅像
寺田屋で坂本龍馬と三吉慎蔵が伏見奉行所の手の者に襲われ、お龍さんの機転で難を逃れ薩摩屋敷に逃げ込んだのだが、その後しばらく薩摩藩邸に匿われていたのだが、龍馬は西郷隆盛らの勧めもあって、手の傷を癒すために薩摩の霧島温泉にお龍と共に向かうのだが、これが日本初 ...
龍馬襲わる
京の銅像とは話が少し外れるが、寺田屋で龍馬が襲われた事について述べてみよう。坂本龍馬は薩長同盟の盟約が成立してすぐの、慶応2年(1866)1月23日に、長州の三吉慎蔵と共に寺田屋へ戻り、盟約成立の祝杯を挙げていたのだが、明けの2時頃に伏見奉行所の取り方、 ...