源氏にとって大切なものとして、清和源氏の武士団を形成した源満仲が「世を平にするに相応しい太刀」をと、伯耆国の鍛冶安綱に鍛えさせた二振の太刀である。一振は、試し斬りで髭まで斬り落としたことで「髭切」と名付けられ、二振目は、首を斬ったところ膝まで斬り落とした ...
2022年11月
六孫王神社/鎌倉殿と京都
後白河上皇が源義経を神泉苑に招いた理由が分かるのは、六孫王神社にあるらしい。六孫王神社には、京都駅から市バス「C4」乗り場から、16系統で『六孫王神社前』下車(所要10分)徒歩3分で「六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)」に着く。京都駅八条口(バス乗り場とは ...
神泉苑・義経と静御前の出会の所/鎌倉殿と京都
京都駅から、市バスの9または50系統に乗り、「堀川御池」で降り、西に5分ほど歩くと神泉苑がある。ここで義経と静御前とが初めて出会った所と云われている。神泉苑は、平安京を造るときに、大内裏の東南に接して造られた禁苑で、俗に御池とも呼ばれている。昔は、東西2 ...
常盤御前/鎌倉殿と京都
常盤御前は、平安時代の末期に生きた絶世の美女で、近衛天皇の中宮・藤原呈子(ていし)の雑仕女(女性の召使)から、源義朝の愛妾になり、今若・乙若・牛若を生んだ女性である。保延4年(1138)に産まれたというが出自は不明で、何時何処で亡くなったのかもはっきりと ...
常盤御前就捕処/鎌倉殿と京都
伏見の桃陵団地の一角に建つのが「常盤御前就捕処碑」である。平治の乱で義朝が敗死した為に三人の子供を連れ雪の降りしきる中を、京から大和(奈良)へと逃げる途中に寶樹寺立ち寄り、薬師如来像に子の生長を祈願し、老松の下で雪除けをして、伏見の地まで来た時に、母が捕 ...