2022年11月

後白河天皇は平安時代末期、平家や源氏など武士が台頭した頃の、平清盛や源義朝などと共に、騒乱の時代を生きた77代の天皇(在位1155~1158)である。雅仁親王が、77代後白河天皇として即位するのだが、この即位に反発したのが崇徳上皇で、保元元年(1156) ...

平氏や源氏が台頭する時代の政権は、院政清治の時代であった。後白河法皇を語る前に、院政について考えてみよう。院政とは天皇に代わって直系の尊属である上皇が政務を行なうという政治形態であり、多くは幼い子を天皇に擁立しそれを補佐するという形で父である上皇が政権を ...

治承5年(1181)に平清盛が亡くなると、平家打倒の気運はいっそう強まることとなり、伊豆では源頼朝が、信濃では頼朝に追われた源行家に頼られた源義仲(木曽義仲)が、平家討伐の兵をあげるのである。しかし行家を庇護したことで、義仲と頼朝との仲は険悪となるのだが ...

膝丸が清和源氏3代目の源頼光に渡った時のこと。丹波口大江山の酒呑童子の鬼退治・・・一条天皇(平安時代中期の66代天皇)の御世に、都の姫君が大江山の酒呑童子のさらわれるという事件が起こり、天皇は、源頼光とそれに従う四天王(渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞 ...

「髭切」の太刀は、源満仲から3代目の源頼光に引き継がれ、頼光の四天王の一人・渡辺綱が、一条戻り橋で鬼の腕を斬ったことから「鬼切丸」と呼ばれるようになったのだが、そのいきさつをみてみよう。戻橋の由来は、文章博士の三善清行が亡くなった時に、その子浄蔵が急ぎか ...

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