2022年10月

現在の五条通は、平安京では六条坊門小路と呼ばれていたのだが、天正18年(1590)に豊臣秀吉が「方広寺」や「伏見城」に行くのに便利なように、五条大路(今の松原通)の二筋南に橋を架け、五条大橋と呼び、そこに京の町を囲む御土居の出入口を設けて、六条坊門小路を ...

国道1号線は大阪から京都に向い、東寺で右折して堀川通を堀川五条で五条通に入り東に、山科・大津へと抜ける国道である。五条通の東は山科の阪神高速・京都東ICの三条通が起点となり、西は桂川の西大橋までの通りとなる。五条坂から東海道、そして西の山陰道までと、京の ...

今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」で、源頼朝が起こした鎌倉幕府の創成期の話を取り上げている。源氏と京都の関りについては、鞍馬山に幽閉された牛若丸(源義経)の話がよく取り上げられるのだが、京都にも源氏に関わる場所があり、今回はそのいくつかを取り上げてみよ ...

蹴上の舟だまりから北に、疏水分線をおっかなびっくりで歩くと、南禅寺となる。琵琶湖疏水は、そのまま南禅寺の境内を、西から東へと流れてゆくのだが、その南禅寺の境内を流すのが水路閣である。水路閣は、所謂、天井川と同じ方式で、延長93.17m、幅4.06m、水路幅 ...

蹴上の船溜りから分岐をし疏水の本流と分かれ、南禅寺の境内を通り哲学の道から松ケ崎浄水場へと流れてゆくのが疏水分線である。疏水公園を疏水分線に沿って歩き、水門の前に架かる橋を渡ると、疏水べりを通って南禅寺に通じるプロムナードがある。このプロムナードは、蹴上 ...

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