2022年05月

大原口道標は、寺川通を今出川に出て交差点の東北角に、江戸時代最後の年である、慶応4年(1868)に建てられたものである。花崗岩に刻まれた道標には、東西南北の四面に、『[東] 下かも 五丁 比ゑい山 三り/東 吉田 十二丁 黒谷 十五丁/真如堂 十四丁 坂本越 三 ...

京都は海に面してはいるものの、それは京都北部の日本海に面した地域であり、京都の都では海の幸は貴重な食べ物であった。「若狭のひと塩もん」という言葉があるのだが、これは福井県小浜の港にあがる鯖や鰈(かれい)、ぐじ(甘鯛)などに、ひと塩を振りかけ小浜(いづみ商 ...

嵯峨野にも西行の庵があったようで、西行が出家した時に住んだ草庵があったとされる所があり、西行井と呼ばれる井戸跡が残っている。去来の墓を囲む句や歌の石碑が建つ東の端に、その井戸跡はある。西行は、俗名を佐藤義清(のりきよ)と云い、鳥羽上皇に仕える北面の武士で ...

西行庵の北東、円山野外音楽堂の東に西行が庵住したという雙林寺(そうりんじ)がある。駒札には、『金玉山と号する天台宗の寺である。延暦年間(782~805)に尾張連定鑑(おわりのむらじじょうかん)が伝教大師(最澄)を開基に招じて創建したのが当寺の起こりと伝え ...

東山の円山野外音楽堂の南、道を挟んで西行庵がある。西行を師と仰いだ芭蕉が、西行ゆかりの雙林寺を訪ね、元禄4年(1691)に「柴の戸の 月やそのまま あみだ房」と詠んだところである。西行庵は西行法師が晩年を過ごした所で、ここで朝にお茶が頂けることはあまり知 ...

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