北政所は豊臣秀吉の正室で、秀吉と共に長浜城の城主になって以来、秀吉の出世や天下取りを影日向で支えてきた賢夫人である。北政所とは、摂政・関白の正室の呼称であり、秀吉泣き後の慶長11年(1606)、生父母、養父母と秀吉の菩提を弔うために高台寺を開創するのであ ...
2021年12月
後白河法皇と蓮華王院/京の雑学
後白河天皇は平安時代末期、平家や源氏など武士が台頭した頃の、平清盛や源義朝などと共に、騒乱の時代を生きた77代の天皇(在位1155~1158)である。鳥羽法皇は寵愛する美福門院(藤原得子)とのあいだに出来た子である近衛天皇を、待賢門院(藤原璋子)との子、 ...
東寺の「生身供」法要/京の雑学
東寺は、都は平安京に移ってすぐの延暦15年(796)、羅城門の東に左京の鎮護のために建てられたものを、弘仁14年(823)に、弘法大師(空海)が官寺として下賜され、名を教王護国寺と改めて真言宗の根本道場としたのである。京の町の殆んどが焼き尽くされた応仁の乱で ...
新島八重のハンサムな生涯/京の雑学
弘化2年(1845)11月3日、会津藩砲術師範の山本権八と佐久の間に女の子が生まれる。名を八重という。八重は、男兄弟のなかで育ってゆき、20才で会津藩士の川崎尚之助と結婚するのだが、慶応4年(1868)に薩長の新政府軍と一戦を交える「戊辰戦争」に巻き込ま ...
七代目植治の「庭」/京の雑学
七代目植治とは、植木屋治兵衛を詰めた屋号であり、七代目小川治兵衛のことである。万延元年(1860)山城国乙訓郡(現在の長岡京市)に生まれ、明治10年(1877)に植治・小川治兵衛の養子となり、明治12年(1879)に、七代目小川治兵衛を名乗っている。昭和 ...