桂小五郎のちの木戸孝允は、明治維新を主導した人物たちの中で、逃げの小五郎と陰口をたたかれながらも、暗殺や兵禍にも遭わず唯一、畳の上で亡くなった人物である。その陰には追われる小五郎を守り通した幾松の献身的な姿があったのである。随分と名を変えたようであるが、 ...
2021年11月
長州藩士・桂小五郎/京の雑学
桂小五郎のちの木戸孝允は長州藩士で、明治と年号が変わるまで生きた人物である。河原町通を御池までくると、通りを越した右側に「京都ホテルオークラ」が見えてくる。この場所が、長門国萩藩毛利氏の京都藩邸(長州屋敷跡)が在った処である。長州藩は戦国時代、毛利元就の ...
山田町番所と獄舎/殺伐とした幕末
JR高知駅から電車の走る道を南に、高知橋を左に折れ、高知八幡宮が川向こうに見えると、右手前方に山田橋が見えてくる。山田橋は車道も狭くコンクリートの古い欄干の橋だが、歩行者用に、すぐ横にも橋が架かっているのだが、この橋も鉄製で欄干は錆が浮いている。山田橋番 ...
岡田以蔵/殺伐とした幕末
岡田以蔵は幕末の土佐藩郷士で、人斬り以蔵の異名で知られた人物である。岡田以蔵は、天保9年(1838)土佐の香美郡岩村(現、高知県南国市)の郷士の家に生まれる。嘉永元年(1848)に高知城下の七軒町(現、高知市相生町)に移り住む。武市瑞山に師事し、小野派一 ...
幕末の四大人斬り/殺伐とした幕末
幕末という動乱期に人斬りと呼ばれた四人の人物がいる。田中新兵衛(たなか しんべえ;天保3年(1832)~文久3年(1863))出自は武士ではなく、薩摩前ノ浜の船頭の子である。示現流を使い、一の太刀で勝負をつける先手必勝の太刀使いであった。文久2年(1862 ...