2021年08月

京都に行くことを「上洛」といい「上京」とは言わない。「上京」といえば、東京に行くことを意味することになる。何故、京都に行くことを「上洛」と言うようになったのだろうか。平安京は中国の「長安」と「洛陽」を手本として造られた都であり、朱雀大路の西側を「右京」、 ...

平安京が始まった794年を「鳴くよ(794)鶯、平安京」と覚えたものである。平城京から長岡京に遷り僅か10年後の延暦13年(794)に、平安京へと遷都されるのである。以来1200年もの長きに亘り、都として続くのである。平安京遷都前の京都は、大和の平城京の ...

京ことばで「おいでやす」と「おこしやす」という言い方がある。大阪弁でも同じ言い方があり、その意味は、ほぼ同じなのだが、大阪弁の方が親しみがあるというか、商売っ気が見え見えである。この言葉はもともとは京ことばで、京都ではこの二つを客によって使い分けているの ...

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」と、平家物語の冒頭にあるように、平家の繁栄も長くは続かないのである。治承 ...

平氏の出自は伊勢平氏であり、京の拠点として六波羅の地に館を築く。天仁3年(1110)に、平清盛の祖父・平正盛が六道珍皇寺の一角に常光寺を建てたことに始まる。平家の最盛期には、北は五条大路(現、松原通)から、南は七条大路(現、七条通)まで、東は東山山麓から ...

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