2021年07月

東三条殿は平安京の二条大路南、西洞院大路東(現在の中京区押小路通釜座西北角)に建てられた、藤原兼家の邸宅で、娘の藤原詮子(ふじわらのせんし/あきこ:64代円融天皇の女御で、一条天皇の母)の里第であった。保元の乱では、後白河天皇側の拠点となり、平清盛や源義 ...

平安時代後期、73代堀川、74代鳥羽、75代崇徳の三代の天皇、43年に亘り院政を敷いた白河上皇。三大不如意といわれた、白河上皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と言わせたほどの権力があった。白河上皇が崩御すると鳥羽上皇が院政を敷 ...

京のミステリーと題して投稿したのだが、どうもこのシリーズは以前に書いたような気がして、調べてみると「京都の謎」として9話まで投稿していたのに気が付いた。この続きは「京都の謎」を見て頂くこととして、・・・新型コロナ禍で、京都歩きもままならず、アーカイブスも ...

平安京の大内裏の南端を東西に走るのが二条通で、平安京の二条大路に当たる。朱雀大路に次ぐ広い通りで、道幅は51mもあった。その二条通を挟み大内裏の東南に建立されたのが「神泉苑」である。神泉苑は豊かな湧水の大池と楼閣があり、天皇や貴族の遊興の地として、広大な ...

葵祭は平安時代以前より続く。下鴨・上賀茂神社の祭礼である。この祭の行列が平安の頃には、斎王の御所車と勅使や諸役の行列が、一条大路で合流し東へと向かったという。この行列を見ようと、貴族たちは牛車で一条大路へと繰り出したのである。そのことを題材として源氏物語 ...

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