2021年03月

三条通から四条通まで南北に伸びる500mの通りが新京極通である。明治4年(1872)に槇村正直によって作られた比較的新しい通りで、明治の頃には芝居小屋や見世物小屋などが並び賑わった。かっては修学旅行のコースとなり、観光客向けの通りであったのだが、昭和50 ...

三条西洞院下るの染物工場の前に、「茶人 珠光・織田信雄・加藤清正・紀州藩邸 古蹟」と刻まれた石碑が建っている。ここはには「柳水(柳の水)」という名水が湧いた所でもある。この地には織田信雄の屋敷があった所であり、その内にあった井戸の水が名水として知られ、千利 ...

聚楽第の濠跡で大宮下長者町の鍵状の辻から北に少し歩くと、民家の壁に手作りの「秀吉から四百年つゆの井跡」と書かれた小さな看板があり、その横の細い道を西に、すぐ右に曲がると、空地の片隅に「梅雨の井」の名残がある。この井戸は、秀吉が聚楽第を築いた頃から、聚楽第 ...

堀川五条でバスを降りると、堀川通をはさみ、その向いには「京都東急ホテル」があるのだが、その横、堀川通に面した植込みの中に「左女牛井之跡」の石碑が建つ。2012年のNHKの大河ドラマ「平清盛」で、京にある平家ゆかりの地は数多く紹介されたのだが、一方、源氏に ...

寺町通に面した東側、寺町通丸太町下ル下御霊前町にあり、赤い鳥居の横の石碑には「府社下御霊神社」と刻まれている。平安初期の貞観5年(863)に、平安京の神泉苑で行われた御霊会で祀られた八所御霊を、出雲路(上京区)の地に祀ったのが、上御霊神社と下御霊神社の創 ...

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