2021年02月

関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、焼失した伏見城を再建するのである。豊臣家が滅亡すると、家康は慶長7年(1602)に、木幡山に伏見城を再建するのである。これが三度目の伏見城築城である。ここで家康は征夷大将軍の宣下を行い、自他ともに認める天下人となるのであ ...

伏見桃山は東山丘陵の南端あたり、南には巨椋池が広がり、奈良や大坂への要衝の地だったのである。その伏見の地に築かれたのが、伏見城である。最初の伏見城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)直後の、文禄元年(1592)に、自身の隠居所として、伏見指月(現在の京都市 ...

公園と聞いてどんな公園を想像するかと考えてみた。もっとも身近なものとして、地域の一角にある〇〇公園(〇〇は地域の名)である。地域に住む十人が、そこで日向ぼっこもよし、子供を連れての公園デビューなんてのもあるようだ。そんな小さな公園から、京都では平安神宮の ...

京都の町には多くの門があり、その殆どを寺社の門が占めている。そんななかで「京の三大門」と呼ばれる門が「知恩院の三門」「南禅寺の三門」と「東本願寺の御影堂門」である。「京の三大門とは」にリンク平安京にもこれらの門に匹敵する大きな門が二つあった。「朱雀門」と ...

京都の路地を歩いていると、祠に祀られた「お地蔵さん」を良く見かける。花や供物が備えられ地域ごとに「お地蔵さん」を守っている。京都市内には五千とも六千ともいわれる「お地蔵さん」がある。では何故京都にはこれほどの「お地蔵さん」が祀られているのだろうか。日本で ...

↑このページのトップヘ