2021年01月

天下人・豊臣秀吉にも気力の衰えが見え始め、慶長3年(1598)5月頃には床に伏せる日が多くなる。自分の死が近いことを悟った秀吉は、伏見城に徳川家康ら諸大名を呼び、家康には秀頼の後見人となるよう依頼する。さらに五大老(徳川家康・毛利輝元・上杉景勝・前田利家 ...

妙満寺の墓地には、昭和30年代にテレビ創成期を支えた、花登筺(はなと こばこ)の墓がある。花登筺は昭和3年(1928)大津市に生まれ、本名を花登善之助という。若い頃は芝居役者を目指していたのだが、同志社大学を出て就職するも、結核を患い退社した後に、物書きへ ...

妙満寺の山門をくぐると、正面に「本堂」があり、その左に檀信徒が寄進をした「仏舎利大塔」、右に「方丈」があり、塔頭の成就院にあった「雪の庭」を、寺町二条から移転の際に、本坊の庭として移したものである。それに「安珍・清姫ゆかりの鐘」が奉納されている。妙満寺で ...

京都の北に行けば、比叡山の山景は至るところから目に入り、京都と比叡山は深いつながりを持つのである。叡山電鉄の「木野」駅から歩いて5分、洛北・岩倉の地に妙満寺がある。妙満寺は、日蓮上人の教えを受け継ぐ、顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の総本山で、日蓮を宗 ...

平安時代から鎌倉時代の頃に、皇族の未婚の内親王を選び加茂社(上賀茂・下鴨神社)に仕える斎王として、身を清める為に住んだ所を「賀茂斎院」といい、櫟谷七野神社はこの跡であったとも伝えられている。この制度は平安初期の第52代嵯峨天皇の代に始まり、鎌倉初期の第8 ...

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