2020年11月

相国寺を終えて次の「かくれ名所」は太秦にある「蚕ノ社」に向かうのだが、この辺りは、京都盆地の西、桂川流域に住んだ豪族「秦氏」が勢力を持った所であった。少し秦氏につて述べてみようと思う。秦氏は秦の始皇帝の子孫といわれる弓月君(ゆづきのきみ)が、一族郎党を率 ...

相国寺の鐘楼の横奥に、千宗旦に化けた古狐を祀る「宗旦稲荷」がある。江戸時代の初め、相国寺の境内に棲んでいた古狐は、門前の豆腐屋や近くの店を繁盛させたり、雲水の僧に化けて托鉢の列に加わわったり、和尚と囲碁を打っていたという。ある時、古狐は千利休の孫の千宗旦 ...

瑞春院は、その昔、水上勉が10才の頃に若狭から出て修行をした寺で、あまりの辛さに逃げ出してしまったというお寺である。水上勉さんの直木賞受賞作「雁の寺」のモデルともされ、氏の修行をしたことにもちなんで瑞春院を雁の寺と呼ぶようになった。水上勉は、大正8年(1 ...

相国寺の搭頭である瑞春院。その由緒を駒札に見ると、『本尊阿弥陀三尊仏(鎌倉時代)由緒足利義満公が一山派、雪村友梅(せっそんゆうばい)禅師の法嗣太清(ほっすたいせい)和尚を相国寺に迎請する為、その禅室として雲頂院を創設、その後、雲頂院は兵火に罹り瑞春軒に合 ...

相国寺のなかに美術館がある。その名を「承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)」という。相国寺が創建されてから600年の記念行事の一環として、昭和59年(1984)に開館した美術館である。相国寺の塔頭である、鹿苑寺(金閣)や慈照寺(銀閣)が所有する文化 ...

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