寺町通を京都御苑の来た、今出川通を越えてさらに北へと歩き、「十念寺」をすぎると織田信長を始め、本能寺の変で亡くなった人達を祀る「阿弥陀寺」がある。ここから「光明寺」「慈福寺」と続く、この辺りが寺町らしい景観を今に残している。この寺も浄土宗の寺院で、山号を ...
2020年09月
総見院/京のかくれ名所
織田信長が本能寺で自刃をし、その亡骸が見つからなかったことから、信長の墓とされる所は京の町に、いくつかの寺院に伝えられている。本能寺には「信長御廟所」があり、また大徳寺の塔頭・総見院にも「信長公廟所」がある。本能寺の変の後、大徳寺で信長の四男で秀吉の養子 ...
本能寺/京のかくれ名所
小川通蛸薬師には、織田信長が明智光秀の謀反により自刃をした本能寺があったところだが、今そこには「旧本能寺址」と刻まれた石碑しか立っていない。地下鉄を烏丸御池で降りて三条通を東へ歩き、木屋町通を北へと進み、押小路通から西へ、河原町通に出ると地下鉄の市役所前 ...
旧本能寺跡/京のかくれ名所
天下布武を目指した織田信長は、今ではその理由は定かではないのだが、僅かな手勢を連れ京の本能寺に逗留をするのだが、天正10年(1582)6月2日の未明に、明智光秀の謀反により、本能寺を急襲し燃え盛る本能寺にて信長を自刃に追い込むのである。本能寺から北北東に ...
旧二条城跡/京のかくれ名所
京都御所の西、室町下立売の交差点の南西角に「旧二条城跡」の石碑が建っている。二条城といえば、徳川家康が築城した二条城が今に残るのだが、実は室町幕府の初代将軍・足利尊氏から、3代将軍・義満までが二条通に屋敷を構えたことから、将軍の屋敷を二条城と呼ぶようにな ...