「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」と辞世の句を詠んだ豊臣秀吉。尾張の足軽の子から、天下人にまで昇り詰めた人物である。現在でも一代をなした人物を、秀吉になぞらえて今太閤と呼ぶ。京の町で秀吉にまつわる所を訪ねてみようと思うのである ...
2020年09月
明智光秀の首塚/京のかくれ名所
NHKの大河ドラマでコロナの影響で中断されていた「麒麟がくる」が再開されたのだが、天正10年(1582)に織田信長が、明智光秀により、本能寺で討たれたことは誰しもよく知る処である。光秀の出自ははっきりとはしないが、室町時代に美濃国(現、岐阜県)の守護大名 ...
信長といえば「敦盛」/京のかくれ名所
「人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか」とその一節を謡い、桶狭間の今川の大軍に立ち向かう。手勢僅か2千騎でとても勝つ戦ではなく、死中に活などではなく自棄のやんぱちで投げた石が偶々当たったようなもの ...
建勲神社/京のかくれ名所
もう一つ、織田信長の御廟ではないのだが、信長を祭神とした神社が、大徳寺の南、船岡山に鎮座する「建勲神社」である。明治2年(1869)に、信長の偉勲を称え明治天皇が建勲の神号を与え、創建されたのが建勲神社である。この神社は織田信長をご祭神とし、建勲(たけい ...
信長公本廟/京のかくれ名所
阿弥陀寺にもまた、清玉上人が本能寺の変で討たれた信長と信忠の遺骨を持ち帰り、その霊を弔ったという、信長・信忠の本廟が建つ。西ノ京蓮台野(現在の今出川大宮東)にあった阿弥陀寺の住職・清玉(せいぎょく)上人は、本能寺での異変を知り駆け付けるのだが、信長は既に ...