2020年08月

平安時代前期、第60代、醍醐天皇が神泉苑で遊興の宴を開いた時に、鷺が池の畔で羽を休めていたのを見て、「あれを捕まえよ」と命じたが、なかなか捕まらなかったのだが、「帝の御意なるぞ」と告げると、鷺は羽をたたんでひれ伏したという。醍醐天皇はそれを見て大いに喜び ...

京都駅から、市バスの9または50系統に乗り、「堀川御池」で降り、西に5分ほど歩くと神泉苑がある。ここで東寺の空海と西寺の守敏による法力対決の舞台となり、空海が奇跡を起こすのだが・・・善女龍王社神泉苑は、日照りが続き旱魃(かんばつ)の兆しがみえると、雨乞い ...

二条城の南、押小路通にある北門から神泉苑に入る。神泉苑は、平安京を造るときに、大内裏の東南に接して造られた禁苑で、俗に御池とも呼ばれている。昔は、東西200m、南北400mの敷地があり、乾臨閣を正殿とし、法成就池という大池を掘って、庭園美を極め、天皇や貴 ...

東山区粟田口鍛冶町に「仏光寺本廟」があるのだが、仏光寺本廟のなかには「三条小鍛冶宗近之古跡」の石碑が建っている。平安時代の刀工である三条小鍛冶宗近が、刀剣を鋳造するときに用いた井戸水が仏光寺にあったと云われ、ここにその石碑が建っている。宗近は三条派と呼ば ...

三条通神宮道から東に、粟田神社の鳥居が見えてくるのだが、それに目を奪われて、つい見逃してしまうのが、粟田神社の前三条通を挟んで向かい側にある「合槌稲荷神社」である。この稲荷神社が、平安時代中期の刀匠・三条小鍛冶宗近が信仰していた稲荷の社であったと伝えられ ...

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