2020年05月

錦鏡池を廻り池越しに銀閣を見る。銀閣は、鹿苑寺の舎利殿(金閣)や西芳寺の瑠璃殿の様式を踏まえ、観音殿と呼ばれている。この東山殿はかつて銀閣や東求堂など堂塔伽藍が12楼も建っていたと云うが、その大半が天文の兵乱の為に焼け落ちてしまい、今残っているのが観音殿 ...

波を表すという銀沙灘にぽっかりと浮かんでいるような向月台越しに、銀閣が見える。一説によれば、足利義政が月待山にかかる月が、銀沙灘に写る姿を、向月台に腰をおろして眺める為に造らせたものだと云われているのだが、腰をかけるにしては高過ぎるし、むしろ波間の間に富 ...

銀閣が建てられた時代は応仁の乱が終わった直後で、京の町は荒れに荒れていた時代であった。時の将軍、8代足利義政が発願し、文明14年(1482)から東山の月待山の麓に造営が始められた。銀閣の完成年は分かっていないが、長享3年(1489)に上棟式が行なわれてい ...

一番最初に目に入る銀閣の姿である。北山の金閣を見た目には、東山の銀閣は随分と古びて見える。当然だと思う。一方は昭和30年の再建で50年しか経っていないのに、銀閣は齢500年比べものにならない。壁の漆は剥げ、その厚さも1cmをきってしまう程に、見た目もいか ...

銀閣寺橋を渡り店が並んだ参道を歩くと、慈照寺の総門となる。総門の坂下横の石碑には「史跡慈照寺」の文字があり、その下に「銀閣寺」の文字が少し小さく刻まれている。総門をもう少し広くと思ったのだが、そうすると観光客が映り過ぎ、処理できないのでこの狭い範囲での総 ...

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