2020年01月

蛤御門から、御所の南西角にある「清水谷家の椋」を過ぎると、御所の正門である「建礼門」が見える。京都御所には6つの門があり、建礼門は、御所の南側にあり正面入口になる門である。素木の切妻造、桧皮葺の柱間一間の四脚門である。この門を入ると丹塗りの承明門があり、 ...

京都御苑の南西の角に、一本の大きな椋の木がある。樹齢300年とも云われ、この辺りに清水谷家の屋敷があったことから「清水谷家の椋」と呼ばれている。清水谷家は西園寺家の一門で、鎌倉時代に西園寺公経の二男、実有を祖とする公家である。雅楽を家業として天皇に仕えた ...

蛤御門を入りすぐの左側に松林があるのだが、「穂波の松」と呼ばれ、穂波家の庭にあった松である。穂波家は藤原北家の流れを汲む公家で、江戸時代の寛文年間に穂波と改称したのに始まる。幕末の当主、穂波経渡(ほなみ つねのり)は、鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争で各地を転戦し ...

京都御苑西側のほぼ真ん中位にあるのが蛤御門である。蛤御門は、本来は新在家御門と言われていた高麗門型の筋鉄門である。江戸時代の大火で、それまで開かなかったものが開けられた為に、焼けて口を開く蛤のような門と言われるようになり、いつしか蛤御門と呼ばれるようにな ...

西園寺邸跡の駒札が立つ辺りと、皇宮警察本部京都護衛所とに挟まれた梅林の北が「枇杷殿(びわどの)」があった所である。その一角に立つ駒札には、『このあたりにあったといわれ、平安時代前期、藤原基経(もとつね)から三男仲平(なかひら)に伝えられ、敷地内には宝物を ...

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