2019年12月

九條池(勾玉池)に南北に反橋が架かっており「高倉橋」と呼ぶ。九條家があった頃には、この橋は架かっていない。明治11年(1878)に、木造の平橋が架けられた。その後、明治15年(1882)に、明治天皇行幸の計画があり、御所の建礼門から南に一直線に丸太町通へ ...

間ノ町口を入った右側一帯にあったのが、五摂家の一つ九條家である。堺町御門と間ノ町口に挟まれた、御苑では西南の場所に位置している。九條家は藤原氏北家の流れを汲み、九條兼実を祖とする。京都九条にあった九條殿に住んだことから、九條との家名が付いた。鎌倉時代に源 ...

九條池の中の島に残るのが、厳島神社である。祭神は安芸の宮島にある厳島神社と同じ三女神を祀る。(市杵島姫命・田心姫命・瑞津姫命)ほか、平清盛の母である祇園女御も合祀されている。厳島神社は九條家の鎮守社で、平清盛が母である祇園女御のために、安芸の宮島にある厳 ...

拾翠亭の前に広がる池は、その形から勾玉池と呼ばれるが、九條家の屋敷の池だったことから、今は九條池と呼ばれている。池は東西90m、南北60mの大きさで、江戸時代の後期に造られたという。池の南東隅に滝が設けられ、当時は鴨川から水が引かれ滝音が聞こえたという。 ...

間ノ口町を入り、すぐ右側に見えるのが「拾翆亭」である。拾翆亭は五摂家(藤原氏の嫡流で、公家の家格の頂点に立った、近衛家・九條家・鷹司家・一條家・二條家をいう)の一つ九條家が茶会やなどに使用した茶室である。江戸後期の寛政年間(1789~1801)に建てられ ...

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