京都は明治維新で、天皇や公家が東京に移り、京都御苑は荒れるにまかされた。京都に昔の面影を取り戻そうと、京都の官民が一体となり、復興への道を探るのである。明治4年(1871)に、初代京都府知事・長谷信篤(ながたにのぶあつ)が呼びかけ、京都の有力町衆が協力を ...
2019年12月
富小路口と休息所|京都御苑
京都御苑の南、丸太町通に面した所には、一つの御門と二つの入口がある。その一つで最も東にあるのが「富小路口」である。南は渉成園の北、上数珠屋町通から、北の丸太町通までの南北の通りが「富小路(とみのこうじ)通」で、この入口が通りの北端に一していることから「富 ...
堺町御門|京都御苑
京都御苑の南側にある三つの出入口のなかの「間ノ町口」から入り、鷹司邸跡から振り返ると、堺町御門が見える。堺町御門の駒札には、『文久3年(1863)8月18日、朝廷内の孝明天皇、中川宮、公武合体派の公家、会津・薩摩藩らは、三条実美ら激派の公卿七人と尊王攘夷 ...
鷹司邸跡|京都御苑
間ノ町口を入りすぐの右側に九條邸があったのだが、その北向いに鷹司邸があった。鷹司邸跡にある駒札には、『鎌倉時代中頃、近衛家からわかれた五摂家の一つです。江戸時代中期には閑院宮家の皇子淳宮(あつのみや)が鷹司家を継ぎました。孫の政通は幕末期30年以上も関白 ...
百日紅(さるすべり)|京都御苑
拾翠亭の庭には、サルスベリの木を所々に見ることが出来る。百日紅の木は、京都御苑にあった公家屋敷の庭に、観賞用として植えられたもので、京都御苑では夏の終わりに咲く花として、あちこちで見ることが出来る。間ノ町口を入ると正面に百日紅の巨木があるのだが、この辺り ...